法然とは

法然上人のイラスト

法然は「南無阿弥陀仏」の念仏をひたすらに唱えれば死後には平等に往生できる説いた平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した僧です。

法然の生い立ち

法然上人の幼少期のイラスト

長承2年(1133)美作国久米(現在の岡山県久米郡)に生まれた法然は、9歳の時に父親を土地の争論に関して明石源内武者貞明に殺害されてしまいますが、父の遺言によって仇討ちを断念して、母方の叔父の僧侶である観覚に引き取られました。

13歳で比叡山西塔北谷の皇円の元で受戒し天台の三大部を学び、18歳の時に西塔黒谷の慈眼房叡空の弟子になり、戒律を守る生活を続け、源信の「往生要集」に出会ってからは凡夫も給される道があることを知り、念仏修行に没頭しました。

下山後は独自の教えを説き「大原問答」と言われる問答で、念仏すれば誰でも極楽浄土へ往生出来ることを説いてからは一躍注目を浴びるようになりました。

更に「選択本願念仏集」を著してからは、貧しい者も仏の教えを知らない無智の者も等しく救われると説き、「専修念仏」の教えは広まっていきました。

しかし法然の思いが民衆に広がっていくことに反して従来の仏教教団の反発を買うことになり、念仏禁止の受難の日々が続き、承元元年(1207)には弟子の住蓮と安楽が院の女房と密通したという噂によって四国に流罪となり、4年後に京に復帰するも翌年の二月には齢八十にて往生を遂げました。

浄土宗の成立

二十五菩薩来迎図のイラスト

法然は只ひたすらに念仏を称える「専修念仏」が浄土への往生の決め手になると確信して教義の中心とし、誰にでも実践出来ることから、その運動を広めることに生涯を捧げたのです。

法然上人絵伝などでは法然はの中で善導と出会い浄土宗開宗を確信したとされています。

善導は中国唐時代の高僧で、中国浄土教の大成者です。

選択本願念仏集

宝蔵菩薩のイラスト

法然の教えは選択本願念仏集に集約されているとされ、「選択」とは取捨選択のことで、「仏説無量寿経」には阿弥陀如来の前身である宝蔵菩薩が如来になるために立てた願いが書かれていて、その中の十八番目の願いとして「全ての人々が心から信じて私の国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、私は決して悟りを開きません」の部分のみを重要視して「称名念仏」だけで良いとしたことが最も大きな特徴です。

念仏は誰にでも実践出来る修行であり、学力や財力に関係なく誰もが平等に救われることから、念仏を実践すれば誰もが浄土に往生出来ると説いたのです。

法然の念仏の流れ

法然の念仏のイラスト

法然の「専修念仏」の教えは、末法の到来とも言われて当時の荒廃しきった社会の中で、貧しい人や仏法を知らない人であっても浄土に往生出来るという救いをもたらしたことで広く社会に行き渡り、衆生済度の真の仏法の姿だと賞賛されたのです。

法然によって確立された浄土教は後の親鸞の浄土真宗、一遍の時宗を生み出すことになりました。