靴のお焚き上げ、処分

靴は消耗品ですから、普通でしたら燃えるゴミとして処分しますが、思いが籠った靴はどのようにしたら良いのでしょうか。

物に魂や念がこもる

病気で入院している人にとって、長期の入院生活というものは、とても辛いもので、誰もが家に帰りたいと願うのですが、ある意味不治の病を宣告されたとしても、何を望むかと言えば、ごく普通のありふれた生活がしたい、普通に健康な体に戻りたいと切に願うものです。

病院の中の不自由な生活からしてみれば、外の世界の何と自由なこと、今すぐにでも歩いて回りたいのです。病気が治る大切な要素は、生きる希望です、治ったら一緒に歩きましょうと、靴をプレゼントするのも素敵なことで、運良く退院出来る運びとなった時には服や靴は新しい物でスタートしたいものです。

しかし、もし病魔に負けてしまったら新しい靴は不要になってしまい、せっかくの気持ちが台無しになるようですが、物がもったいないのではなくて、心が届けばそれでよいのです。

このような靴はもう普通の靴ではなくて、特別な念が籠った靴になっています。

特別な念とは、今は亡き人に対して「治って欲しい」という強い念なのです。

この念は念じる人の気持ちが強ければ強いほど、そして祈れば祈るほど強いものとなりますので、さすがに誰かに差し上げる訳にはいかないでしょうし、簡単に捨てられるものでもありません。

成就したのなら履きましょう

もちろん願いが成就したのなら履きましょう、その願いは更に健康になるための大きな力に成るはずです。

成就しなかったら

祈りや願いも空しく還らぬ人となることもありますが、この世では諸行無常、永遠に続くものは一つもありませんので、生身の身体とのお付き合いは諦めて、魂とのお付き合いをしていきましょう。

私達は生きている時は生身の体の中に魂が入っているのですが、亡くなったら生身の身体が無くなってしまうだけのことで、魂同士のお付き合いが出来る人は生身の身体は不要なのです。

願い空しく成就しなかったら、思いの籠ったものは天上に届ける事が一番で、それがお焚き上げ供養なのです。

魂に靴は不要

魂の状態になれば生きていた時のように靴を履いて歩くということはありません、靴が磨り減ることもなければ新しい靴も不要です。

魂には物は不要ですが、物に籠っている温かい気持ちや思いは届ける事が出来ます。

高野山真言宗やすらか庵のお焚き上げ

高野山真言宗やすらか庵でお焚き上げ供養して差し上げます。

材質はどんな物でも結構です、革靴、布靴、スニーカーなど、病院で履いていたスリッパでも構いません、足袋や靴下が一緒でも構いません。

また事故でお亡くなりになられた方の靴で、たとえば登山家の方が滑落で亡くなった場合にも靴は思い出の品として残しておく方もおられますが、実際の所は見るだけでも辛い、あまりにも痛々しいなどの気持ちが湧いてしまうなどの理由で処分したいと思っている方もおられるのです。

辛い思い出が蘇るような物は置いていても気持ちがふさぎ込むばかりです、上手にお焚き上げ供養を利用して亡き人に届けて差し上げることで全てが解決いたします。


お焚き上げの質疑応答エンター