失恋について
失恋とは相手に対する恋が成就しない事、もしくは恋愛関係が破綻することで、精神的なショックを受けるので、落ち込んだり病気になったりする人も居ます。
出会いとは
人と人との出会いの御縁は不思議な運命の糸によって結ばれていて、偶然あるいは必然的に出会うことにより、人生の進路が大きく変わるものです。
人と人との出会いの中でも男女の出会いは更に衝撃的であり、楽しみや悲しみを共有することが出来たり、勇気や元気を貰えたり、相手から学ぶことがあったりと、一人では決して出来なかったことが出来るようになることで、一緒に居ることが楽しいと実感出来る関係に成り得るのです。
自分一人では出来なかったことが二人で居ると出来るようになるということはとても魅力的なことであり、単純な話、一人でテレビを見ていても楽しくなかったのに、二人で見ていたら賑やかで楽しい、一人で寝ていても寂しくて仕方なかったけれど、朝起きた時に隣に愛する人が居るだけで幸せに包まれるのです。
所詮人間というものは寂しがり屋であり、幾つになっても共に歩むパートナーを相手を求めて彷徨う生き物なのかもしれません。
心変わり
人の心は常に一定ではなく、常に動き続けていて、そのことを仏教では「諸行無常」といって「永遠に続くものは何一つない」と説くのです。
自分と付き合っているパートナーが、これまで出会った中では最高で、もうこれ以上の相手が居ないと思っていても、何年も付き合っている内に飽きてしまったり、嫌な面が見えるようになったりするもので、そういう時に新しい相手と出会ったら何もかもが新鮮に見えてしまい、急激に引き込まれていくこともあるのです。
本当に素晴らしいパートナーと出会って、この人と結婚しようと思っていても、パートナーに心変わりが起きて別れを切り出されたりもするのです。
心の保証はありません
付き合っている人に対して、自分のことを何時までも好きでいて欲しいとか、他の人と付き合わないで欲しいというように、相手の心を束縛することは不可能で、そういう心の保証は誰にも要求することは出来ません。
自分のバートナーが何時までも変わらずに自分のことを好きであり続けて欲しいという祈願を神様に頼んでも、それは最初から無理な話です。
相手に気に入ってもらおうと思えば、ただひたすらに気に入られるように振る舞う事しか出来ないのです。
ほんの些細な心変わりで相手を振っても振られても「恨みっこ無し」というのが恋愛の鉄則です。
恋愛は学びの場
恋愛は本当に一生付き合えるパートナーを探すための前段階、共に暮らすということの良い事や悪い事も含めてお互いに学び確かめる場なのです。
恋愛にもルールやマナーは当然ありますが、恋愛で気を付けるべき点は
- 本音で話しが出来る相手かどうか
- 隠し事をしていないか
- 相手を見た目で判断しない
- 自分の先入観を捨てる
- 相手の良い所を見つける
- 相手の悪い所を見ておく
- うわべだけの付き合いではありませんか
- お互い綺麗ごとばかり言っていませんか
- 人に見せるための付き合いではありませんか
- 都合の悪いことを共有できますか
- 相手の悪い点を指摘できますか
- 相手から自分の悪い点を指摘された時に直すことが出来ますか
- 平和について語れますか
- 愛について真剣に語れますか
- 家族について真剣に話せますか
こういった事が普通に出来る関係なら真剣に付き合っている証拠です。
自分が満足したら終わり、相手に対する思いやりゼロというパートナーとは早めに別れましょう。
思い込みを捨てること
容姿端麗で多くの人にモテるような人と知り合って、自分にはふさわしくない相手だけど、このチャンスを逃したら二度とこのような縁は無いと思うことは止めましょう。
真の意味での良きパートナーは姿格好だけで決まることではありません。
姿格好などは一緒に生活するようになって数年経てば飽きるものですし、自分達の幸せを人に見せるために一緒に居る訳ではないからです。
結婚適齢期を過ぎているからこのチャンスを逃したくないという切実な場合でも同じですが、無理をして不本意な相手と一緒になったら一生苦労することになります。
相手に騙されている、遊びとして利用されているという事が分かった時には、騙され続けている愚かな自分が居るということに早めに気付いて、そのような時間がもったいないと思ったら、早めに別れましょう。
本当に良い相手とはお互いに安心できることであり、育むものなのです。
安心とは相手に嘘をつかないことで、隠し事をしないことです。
相手に対して嘘をつかず、隠し事をしないからこそ安心して心を開いて話すことが出来るのです。
隠し事をしている人は嘘を隠すのに更に嘘をつき続けます。
本当に何でも話の出来る相手を探しましょう、そういう人と一緒に居れば有意義な時間を過ごすことが出来て、魂が向上するのです。
一方的にフラれた場合でも、いつまでも未練たらしく泣いてばかりいないで、そんな勝手な奴と結婚しなくて良かった、一生を棒に振らなくて良かったと喜びましょう。
安心とは
恋愛でお互いが良い関係でいることが出来切るのは、「安心」が得られるかどうかによります。
安心とは二人で居る時に何の心配もない状態で、仮に不安の材料があったにしても「この人なら大丈夫」と信じることが出来る状態のことです。
恋愛を遊びだと割り切っている人もたくさんいますし、遊びだからと言って悪いことをしている訳ではありませんが、真面目な恋愛を望んでいるのに相手が遊びと言うことで割り切られると、とても辛いものがあります。
安心は仏教では「慈悲の心」のことで、相手を慈しむ心、相手の幸せを願う心なのです。
お互いに慈悲の心があれば対立は無く、疑いの心も生じませんし、幸せな家庭を築いていくことが出来るのです。
思い出の品の処分
いろんな所に出かける度に買った思い出の品やプレゼントで貰った品物は、別れることになったなら、使えるとか使えないは関係なく、思い切って全部捨てましょう。
もったいないの精神に反することですが、時には勉強のために、そして自分が成長するために是非とも必要な「捨てる」という行為を行うためです。
捨てるとは邪悪な物を捨てることであり、仏教では欲望を捨てることなのです。
一つ残らず綺麗に全部捨て去ることです。
お焚き上げ供養
捨てるにはどうも未練があって完全に断ち切れない、戻って来て欲しい、別れたとは思いたくない、などの気持ちがどうしても残るのは仕方ありませんので、そういう時にこそ未練を断つためにお焚き上げ供養の利用をおすすめいたします。
お焚き上げ供養は単に物を燃やすだけではありません
- 邪念を断ち切る
- 迷いを断つ
- 悪い気を払う
- 思い出を天にお還しする
- 神様に味方してもらう
- 心の中を綺麗にお片付け
- 新しいスタートをすることが出来る
- 本当に良い御縁に巡り合えます様祈願する
などの効果があるのです。
思い出の品物を何でも箱に詰め込んで思い切って送ってしまえばあとは供養してもらうだけ、安心して次の一歩を踏み出すことが出来るのです。