苦しみとは

苦しみ

私達の苦しみには肉体的な苦しみと精神的な苦しみがあり、薬で治ることもありますが、放置していたら病気になったり日常生活に支障をきたしたりします。

肉体的な苦しみ

病気の時

肉体的な痛みには怪我をした時の痛みや虫歯の痛み、腰や方が痛い、身体の節々が痛いなどの痛みがあり、何かしらの原因があるがある場合には原因を取り除くことにより痛みが無くなります。

痛い所が分っていても原因不明の場合には、とりあえず痛みを抑えながらの原因究明ということになります。

リウマチなどの場合には痛みを和らげながらリハビリし、症状の進行を抑える治療になります。

癌による痛みは大きな苦しみになり、闘病の意思さえ無くしてしまうほどですが、治る見込みが無ければ痛み神経をモルヒネなどで麻痺させることで最後の時間を過ごせるようにするしか方法がありません。

肉体的な苦しみは体の中の細胞が悪い外敵と戦ったり、弱ってしまった細胞を自分で治そうとするために体内で戦ってくれているための痛みであり、体内に居る多くの細胞と言う名の兵隊が病気や怪我と戦ってバタバタと倒れている痛みなのです。

肉体的な苦しみが大きければ大きいほど、体内での戦いに敗れて倒れる兵士の数が増えてその痛みは大きくなり、苦しみに支配されてしまい、何も出来なくなってしまいます。

肉体的な痛みの症状

肉体的な痛み

肉体的な痛みの症状としては「小さな痛み」の時には

  • チクチクする
  • ヒリヒリする

などで我慢できる痛みなのですが、たとえば指にトゲが刺さっただけでもその痛みは気になるものです。

更に「大きな痛み」の時の症状は

  • 痛い
  • 我慢できない
  • 声にならない
  • 気絶する

なとで大人であっても泣き叫んだりわめいたり、場合によっては気絶したりします。

江戸時代の犯罪者に対する刑罰としてムチ打ち、石抱き、海老責め、吊るし責めなどの今の時代では考えられないような惨い刑罰があり、刑罰を受けた者はその苦しみで泣き叫んだそうですが、これらの刑罰は罪人に肉体的な苦しみを与えるための刑罰なのです。

肉体的な痛みを無くすには

まずは病院に行き、治療をして薬を飲めば大抵の痛みは消えていきます。

何でも自分で治そうとする人が居て、正しく観ることが出来れば正しい判断が出来るのですが、間違った判断をしてしまって却って悪くなるようなことがありますので、西洋医学は積極的に使いましょう。

自然にある物を使って治していく自然療法やインド古代医学のアーユルヴェーダ、中国古代の針灸や漢方などの宗教と深く結びついた自然医学もおすすめですが、正しく理解するためには時間を掛けて学ぶことが大切です。

宗教的な方法としては祈ることで、病気回復を願って写経をしたり千羽鶴を折るなどの昔ながらの方法は意外と効果があるもので、本人に対して「気」が送られることで痛みを和らげ、回復を早めます。

本当に真面目に祈願してくれる寺院や神社でしたら祈願を頼むのも一つの方法です。

神仏に護ってもらうのは昔ながらの王道で、目に見えない力を頂くことが回復への大きな力になるのです。

精神的な苦しみ

私達の心は意外と脆いもので、大きな失敗や試験の不合格、人間関係のもつれ、恋人にフラれたなどで落ち込んでしまい、心の病気になり、精神を病んでしまいます。

精神が病めば顔に活気が無くなり、人と話したくない、外に出たくないなどの気持ちが強くなり、引きこもりになってしまいます。

適切な病院に行けば薬を貰えるのですが、改善しない場合には感情の起伏が全く無くなって部屋に閉じこもってしまったり、全くやる気が無い状態になってしまいます。

精神的な苦しみは如何にも何かに取り憑かれているような状態なので、霊障だと思って連れて行った先がお決まりの金儲け霊能者やインチキ祈祷師で、成仏できていない霊が憑いていると聞いて恐くなり、供養してお祓いするのに〇十万円必要などの商法に引っ掛かった挙句の果てに病気は治らず廃人のような最悪の状態になってしまう人が後を絶ちません。

精神的な痛みの症状

精神的な苦しみにも原因があって結果が出るのですが、その症状としては

  • 感情の起伏が激しい
  • 感情が無い
  • 全てのことに否定的になる
  • 人と会いたくない
  • 外に出たくない
  • 食欲が無い
  • 眠れない
  • 奇声を発する
  • 何かに怯える
  • 誰にも聞こえない音が聞こえる
  • 普通の人が見えない光が見える

などで、何かに取り憑かれたような顔になり、急に怯えたり奇声を発したりするようになり、精神の病気は必ず肉体も蝕んでいき、体調不良の症状が進んでいきます。

精神的な苦しみを無くすには

精神的な病気やそれに伴う苦しみは人に説明しても中々分かってもらえません。

誰かに話したにしても理解してもらえなかったり「気のせいだ」と言われたり、場合によってはインチキ霊能者に騙されて多額のお金をつぎ込んだ挙句の果てに廃人になってしまったりする人があまりにも多いのです。

誰だってこのような苦しみから抜け出したい、明るい人になりたい、元気になりたいと思うもので、但し原因が目に見えないものだけに、騙す人が居て騙される人も居るのです。

霊のせいにすること自体は悪い事ではありませんし、実際にそういった世界があるのですから、霊の世界の問題は霊の世界で解決すれば良いのですが、恨みなどの霊の世界は大変に低い世界ですから、低い世界の中で解決したにしても、どろどろした恨みや憎しみの世界の中から這い上がることが出来なくなります。

天の世界や仏の世界はもっと高い所にあり、そういった神仏の力をお借りすれば、低い世界から一気に引き上げてくれるのです。

霊の世界の解決にしても魂のレベルが低いままですと解決したにしても、また必ず堕ちていきます。

魂のレベルを引き上げれば、再び低いレベルに戻るようなことはありません。

魂のレベルを引き上げることが正しい解決方法なのです。

恋人からフラれた悲しみから抜け出すにしても魂のレベルを引き上げることが大切で、自分を磨くようになればもっと素晴らしい人との御縁が必ずやってきます。

苦しみを無くす方法

釈迦は苦しみから抜け出すためには悟りを得なさいと説くのですが、悟りを開くなんて簡単なものではありませんので、悟りの領域まで行かなくても苦しみを無くす方法について考察していきます。

苦しみの原因

因果応報と言いまして、世の中の事象には必ず原因と結果があり、私達が心や体で受ける苦しみについても原因と結果があります。

苦しみの「原因」が無くなれば苦しみという「結果」から解放されることになります。

身体の苦しみについては例えば「怪我をした」ということであれば、薬を付け消毒するなどして怪我を早く治すように養生すればそのうち痛みから解放されます。

しかし心の苦しみについては原因が分からない、或いは分かっていても原因を取り除くことが出来ないことがあるのです。

会社に嫌な上司が居て、毎日嫌味を言われたりいじめられたりしたら誰だって会社に行くのが嫌になってしまい、嫌な上司が早く居なくなってくれたらと思っていても、自分の思い通りになることはなく、苦しみがますます深くなるばかりです。

この場合の苦しみの原因が「嫌な上司」であれば、嫌な上司が消えてくれたら苦しみが消滅するはずですが、叶うことの無い望みなのです。

苦しみの原因に執着しないこと

世の中の全ての現象に原因と結果があるとしても私達が知り得る原因と結果は全ての事象の中でのほんの一部にすぎません。

たとえば渋谷のスクランブル交差点の歩行者信号機が青になれば歩行者が渡り出すのですが、自分がその交差点に立っていれば信号の色が何色なのかということはとても重要なことで、「青になった」という原因によって「渡る」という結果につながるのです。

しかし私達が一旦その場を離れてしまったらもうその信号機の色が何色であっても関係ないことでありますが、それでも信号機と交差点では一日中原因と結果を繰り返して、そこを通り過ぎる人達に影響を与え続けているのです。

私達がそこに居るか居ないかで原因と結果が影響するかどうかが決まるということは、私達の心がそこに向いているかどうかで決まるということです。

私達の身体と心は常に一心同体、体が行く所に心が付いていくのです。

しかしボーっとして空を見ているような人のことを「心が上の空」と言いますが、心というものは時々私達の体から離れて別の場所に行ってしまうのです。

学校の授業中に外の景色を見て、遠い世界に行ってみたいと空想したことはありませんか?

仕事中にこんな会社辞めてしまって自分のお店を持ちたいと空想したことはありませんか?

こころは空想の世界の先にまで飛んで行ってしまうのです。

先ほどの「嫌な上司」のことに心が向いてしまったら、

  • 嫌な上司がこっちを見ているのは、私に小言を言いたいからではないだろうか
  • 嫌な上司が怖い顔をしているのは、私を軽蔑しているからではないだろうか

と在りもしない原因と結果に心が束縛されているのです。

こういう時には心を別の場所に移せば全く気にならなくなります。

心を移す修行法

天界

嫌な上司のことが気になりだしたら気分が悪くなり、ムカつき、何もかもが嫌になってしまうもので、こういった状態が長く続きますと心も体も病んでしまいます。

こういう時には嫌な上司の方に心が飛んで行ってしまっているためで、まるで疫病神に憑りつかれた状態であり、疫病神というものは憑りついた相手が苦しめば苦しむほど愉快で仕方ないのです。

心が疫病神に支配されているのですから中々立ち直れないのです。

そういう時には自分の心を別の所に移すことが大切で、仕事の事や顧客の事などの、本来今やらなければいけないことに強制的に心を移しかえましょう。

厄病神はしつこいですから、何度も引き戻されますが、決してくじけることなく心の向きを矯正するのが仏教的修行法です。

更に毘沙門天の居られる天界では、疫病神を寄せ付けない「強い心」を持つことを説いておられます。

仕事上の人間関係で嫌なことは誰にでも必ずあるもので、いじめやモラハラなどの形で攻撃されますが、天部の世界では

  • 自分から攻撃しない
  • 仕返ししない
  • 争わない
  • 相手にしない
  • 気にしない
  • 見返りを期待しない
  • 悪に染まらない
  • 善い行いをする

こういったことを強い心を持って実践しているのです。

他の幸せを願い、他の幸せを喜ぶことが最大の目標ですから、バカげた上司に振り回されてクヨクヨしているような場合ではないのです。