迷いとは
迷いとは二つ以上のどちらを選ぶか決めかねていること、或いは煩悩に惑わされて悟りきれない状態のこと。
二つ以上の選択肢
私達は二つ以上の選択肢があって、どちらを選ぶかという場面を経験するものですが、その後の人生が大きく変わるような選択肢の場合には立ち止まって大いに悩み迷うことになるのです。
よくある選択肢としては
- 高校受験
- 大学受験
- 就職
- 資格
などで、自分が将来何をしたいのか、何を望んでどういう風にしたいのかなどのビジョンが無ければ決めることが難しく、自分が持っている能力と照らし合わせて考える必要があり、最終的には運を味方に付けることが出来るかどうかにもよります。
迷いを楽しむ
私達は買い物などで物を選ぶ時に、どれを選ぼうかなと迷うものですが、ショッピングや旅行に出かけた時の土産物を選ぶということは実は意外と楽しいことであり、迷った結果が意外なお買い得品だったとすれば、それが買い物の醍醐味であり、楽しみでもあるのです。
そういう意味ではどうしようかな、どれにしようかな、という迷いは楽しみになりますし、たとえばお金がたまったら何を買おうかなという迷う楽しみがあれば、今が少々辛い時であっても乗り越えることが出来るのです。
仏教と迷い
仏教では仏の居る世界を「悟りの世界」と呼ぶのに対して、私達の人間世界の事を「迷いの世界」として様々な欲望の誘惑による迷いが生じやすい世界であると説きます。
私達の魂は六道と言われる地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天界の世界を生まれ変わり死に変わりの輪廻転生をしていて、この六道の世界全てが迷いの世界であり、欲望の誘惑に負けてしまえばどんどん下の世界である地獄の方に堕ちていき、欲望の誘惑に負けなければ上の天界に上がっていくとされます。
如来と言われる仏の世界は完全に欲望を断ち切った悟りの世界であり、解脱と言って六道の輪廻からは脱出しなければ行くことが出来ません。
私達の人間世界の迷いの原因は欲望であり、少しでも楽をしたい、良い思いをしたいという気持ちがあるが故に常に欲望の誘惑に対して、どちらを選ぼうかと迷うことばかりに時間や労力を費やすのです。
迷いすぎて辛い時には
私達の迷いは良いことや楽しいことばかりで迷っているのならまだしも、悪業で迷うこともあります。
などのことでどうしたら良いのかの判断に迷うのは、悪業に対する罪の意識があるからなのです。
善悪だけで判断すれば結果は分かっているのですが、悪いと知りつつもまだ続けたい、気が付かなければ良いのではないかと言う誘惑に負けてしまうのです。
悪事はまた次なる悪事につながるもので、人を傷付け、自分の魂も落としてしまいます。
魂のレベルを落としてしまいますと上に上がることが困難になり、悪事の結果は自業自得で、やがては必ず自分で受けることになってしまいます。
人として幸せになる秘訣は「悪いことはしない、善いことをする」です。
「悪いことはしない、善いことをする」を続けていれば多くの人から信頼されるようになり、善悪の判断が正しく出来るようになり、何をしてもうまく行くようになります。
迷いすぎて辛い時には「悪いことはしない、善いことをする」を実践してみて下さい。
必ず幸せの道が開けてくるはずです。