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遺骨を持ち帰りたくない
火葬場で火葬された故人の遺骨は収骨室で収骨しますが、遺骨は不要という事が可能なのでしょうか。
遺骨を持ち帰りたくない理由
ある日突然警察から電話がかかってきて、ご主人の遺体が見つかったから確認に来て欲しい、ということが実際にあるもので、愛人を作って家出した、借金を残して逃げた、などのことで居なくなった場合には、残された家族は今は亡き人の勝手な行動で毎日辛い思いをしたのですから、正直言ってもう関わりたくないというのが本当の気持ちなのです。
亡き人が火葬されてお遺骨になっても骨壺を持ち帰りたくないという気持ちは、当の本人でしか分からない気持ちなのです。
亡き人の遺骨を持ち帰りたくない理由として
等の理由からですが、恨みの感情というものはそう簡単には無くなるものでなく、たとえ相手が亡くなってもう動かぬ人になっていても許せるものでは無いのです。
遺骨を捨てる散骨
今時の散骨業種は掃いて捨てるほどあり、格安散骨で遺骨を処理、処分しますの散骨業者に遺骨を引き取ってもらえば、目の前から遺骨が綺麗に無くなります。
お墓に納骨すれば毎年維持管理費がかかり、お墓掃除をしたりお墓参りをしたりの手間が掛かりますが、散骨すればそういった手間が一切かかりません。
なるべくお金を掛けずに遺骨を捨てて欲しいという要望が実際に可能になるのが散骨なのであり、法律的にも合法なのですから、こういう利用の仕方も実際にあるのです。
遺骨を捨てれば亡き人は迷います
しかし遺骨を捨てるような散骨をすれば、捨てられた亡き人は確実に迷います。捨てるという明確な意思があればより確実に迷います。
この世からあの世に行くには自らの魂だけで行くのですが、ある意味自分だけで行くのではなくて送るという要素も加わるのですから、送る人の思いに不純な思いが多ければ多い程、結果として残念なことになってしまうのです。
迷った人は永遠に不幸である
こうして迷った人はあの世にたどり着くことも無く永遠に迷う訳ですが、いつまでも迷い続けることは不幸なことであり、永遠の苦しみです、不幸な人を作り出してしまったということは、自らの行く先にも影響を及ぼしてしまいます。
許すという事
あの人だけは死んでも許せない、この気持ちを持ち続ければ自らも最後には不幸になります。
これは不幸の連鎖と言うもので、恨み恨まれの感情は子々孫々まで残り続けて、誰もが幸せになれない結果となります。
絶対に許せない人を許せと言われても…その気持ちは分かりますが、死んでしまった人はもう生き返ることはありません、恨み続けるか許せるかは自分の気持ちの問題であって、死んでしまった人が生き返って何かをする訳で無いのですから、やれやれ、これで余計な心配をすることがなくなったという事で許してあげましょう。
考えようによっては、死んで償ったと思えば悪くはないですし、どんなに悪い人であっても死ぬ瞬間には悪事を悔いて謝るようです、ただ相手に伝わらない謝罪は謝罪ではありませんが、それでも不幸の連鎖だけは止めなければいけません。
自分の子供や孫までも不幸に巻き込まれてしまうことだけは止めましょう。
気持ち良く送れと言われても
悪事を働いた人を許して気持ち良く送れと言われても、これがまたプライドが許せません。
しかし人は誰でも送り送られるものであり、「行ってきます」と言う人に「行ってらっしゃい」と言えば良いものを、捨ててくるようなことをすれば、いつかは自分も捨てられます。
プライドを捨てる事
プライドは仏教にとって煩悩であり、悟りを邪魔するもの、自尊心の満足は自分だけの満足であり、何の徳にもなりません。
人を許せるか許せないかでプライドというものが邪魔して、あいつは悪い奴で自分は絶対に正しいから、許したところで反省しないから絶対に許さない、というプライドを持ち続けても何か得することがあるでしょうか。
そういうプライドは持っていても持っていなくても大して変わらない、自らの死後に何か持って行けるものがあるとしたら、それはプライドでは無くて、唯一「功徳」だけなのです。
功徳は宝物で、生きている時に積み重ねることが出来て、死後に持って行けるのですから、今の内に功徳を積まなければいけません。
徳を積め
誰かを許すとか許さないとかいう細かい問題ではなくて、今あなたが一番しなければいけないことは徳を積むことで、その徳は今居る状況で出来るもの、今目の前にある問題にどう取り組むかで功徳を積めるかどうかが決まってくるのです。
許すことをするのではなくて、功徳を積むことをする、これで充分なのです。
功徳を積むことは自分のためになりますし、死後の世界に持って行くことが出来ますし、永遠の宝物になります。
供養が大切、散骨供養
やすらか庵では金銭的な事情のある人に対してはお葬式無しで病院から斎場に向かう直葬の場合でも炉前読経をして差し上げることが出来ますし、お葬式をしなかった人に対しては散骨供養時に読経をして差し上げることも出来ます。
供養は亡き人に届けられるものであり、自分自身の徳にもなりますので、徳を積むためにも供養をおすすめいたします。