座禅とは
座禅とは姿勢を正しくして座り、呼吸を整えて精神統一する仏教の修行法のこと。
座禅の歴史
仏教の開祖である釈迦の在世当時に存在した宗教の修行法は、立ち続けたままで絶対に横になることの無い修行や、断食をして座禅を続ける修行などの体を痛めつけるなどの難行苦行が多く、苦行を乗り越えた先に悟りがあると信じられていました。
釈迦も難行苦行を続けていたのですが、そのような方法では悟りを得られないと気付いて難行苦行を止め、深い瞑想をしたことで悟りを得ましたが、座って瞑想する瞑想法は釈迦以前に古くから行われていた修行法であり、宗教の基本ともいえる修行法です。
瞑想は座って精神を集中し、心の内面を観たり神仏との合一を目指し、或いは心を無にすることで、座禅は考案すること、或いは雑念を取り払い只ひたすらに座る「只管打坐」を実践します。
座禅の修行を重んじる禅宗では南インド出身で中国に渡った達磨太子を開祖とします。
達磨大師は南インドの国の第三王子として生まれ中国南方に渡海して嵩山少林寺で壁に向かって9年間座禅を続け、手足が無くなったという逸話から日本では起き上り小法師のダルマとして、転んでも必ず起き上がる「七転び八起き」の縁起物として珍重されています。
中国名を菩提達磨と言い、釈迦から数えて第28祖になり、禅宗の祖とされます。
座禅の仕方
座禅は姿勢正しく静かに座って体を安定させ、息を吐いて吸うことにより心を安定させ、息に集中した後に集中を解くことで無の世界に入っていきます。
座禅の仕方は宗派によって違いがありますが、座ることで体を調える「調身」、息を調えことで体と心の準備をする「調息」、息に集中と弛緩することで心を調える「調心」の三つの段階から成り立ちます。
調身
調身とは体を調えることで、座禅に於ける座り方を説きます。
座禅に於ける座り方としては「結跏趺坐」(けっかふざ)と「半跏趺座」(はんかふざ)のいずれかです。
「結跏趺坐」は左太ももの上に右足首を乗せ、更に右太ももの上に左足首を乗せます。
「半跏趺座」は右太ももの上に左足首を乗せるのみの座り方です。
座禅で座る時には座蒲(ざふ)を尻の下に敷きます。
手には「法界定印」(ほうかいじょういん)結びます。
法界定印は右掌を上に向け、その上に、左掌を上にして重ね、両手の親指先端をかすかに合わせる印です。
調息
ゆっくり長く息を吐き出したのちに自然な呼吸をすることを数回行います。
大切なことは息を吐き出す時に体の中にある息を全て出し切ることで、煩悩や邪念も含めて全て出し切ることです。
調心
調心とは心を調えることで、息を吐いて吸うということだけに集中し、数息観(すそくかん)と言われる方法が有名です。
数息観は息をゆっくりと吐き出して、次にゆっくりと息を吸うことを1つとし、次に息をゆっくりと吐き出して、次にゆっくりと息を吸うことで2つ、その次の息で3つと増やしていき、10になったらその次にはまた1から始めるという呼吸法です。1から10までの呼吸法を何回か繰り返したら数えることを止め、自らを呼吸そのものになりきるのです。
数を数えている間は呼吸そのものに集中し、数を数えることと呼吸を関連付けるために数えていたことを止めることによって、呼吸だけが残るのです。
呼吸は私達が普段は全く意識していなくても自然に行われているので、自分が呼吸しようと思ってしている訳ではありませんが、生きるためには必ず必要な事なのです。
その呼吸は意識して行うことが出来るというのが座禅や瞑想に入っていくための大切な方法となっているのです。
禅宗で行われる座禅
座禅は観光目的で日本にやって来る外国人にも人気で、京都の寺院を巡りながら禅寺で座禅を体験できるコースは特に人気が高いようです。
僧侶が行う座禅ではお堂に入る時の入堂作法が決まっていますので、入堂の時から既に座禅の修行が始まっています。
曹洞宗では堂内の壁に面して座り、臨済宗では壁を背にして座るなどの作法の違いもあります。
一回の座禅の時間は線香を付けてから消えるまでの間とされ約40分から1時間程度の時間のことを「一炷」(いっしゅ、いっちゆう)と言います。
坐禅を行う者の後には「直堂」(じきどう)と呼ばれる監督者が巡回してまわり、姿勢の崩れた者や集中の途切れた者の肩を「警策」(けいさく)で打って警告を与えます。