「2022年5月」の記事一覧

施しとは

真言宗
托鉢のイラスト

施しとは 施しとは相手に対して恵み与えることです。 施しの原点は托鉢 釈迦の在世当時から出家者は衣と鉢以外を所有することなく、生活に必要な食料などは家々を回って布施として受け取る托鉢によって賄われていましたが、現代でも一 […]

あなたも「世界平和」祈ってみませんか?

祈願
世界平和の御札

五黄の寅年 今年は五黄の寅年で50年に一度位の大変な事が起こる年回りではありますが、戦争、侵略、略奪と今や世界の状況は世紀末、末法の様相を呈しており、人間の欲望が露骨にぶつかり合う年でもあるのです。 戦争は始まっている […]

報復、復讐、仕返しについて

毘沙門天信仰
戦車のイラスト

報復、復讐とは 報復、復讐、仕返しとは相手から受けた不当な行為に対してやり返すこと。 やられたらやり返す 「やられたらやり返す」「目には目を歯には歯を」などの復讐の言葉がある裏には、自分が受けた不利益に関しては同じように […]

利己主義、エゴイズム、自己満足とは

毘沙門天信仰
我慢する事

利己主義とは 利己主義とは自分の立場や利益ばかりを考えて他人や社会などのことを考えることなく自分勝手でわがままに振る舞うことで、自己中心主義、エゴイズムとも言います。 満足の正体 私達人間の本性としては、自らの心の底から […]

不治の病を宣告されたら

毘沙門天信仰
不治の病

不治の病とは 不治の病とは医学で治すことが出来ない病気のことで、かつてはペストや結核などが不治の病と言われてきましたが、今では末期ガン、パーキンソン病などが該当し、根本的な治療法が無く、延命や痛みを和らげることが治療の主 […]

隣に必ず居る「ならず者」

毘沙門天信仰
ならず者のイラスト

ならず者とは ならず者とは「不成者」と書き「どうにも成らない者」という意味で、社会の一員としての義務や役割を果たさない厄介者ということ。 常識が通用しない人 世の中には常識と言うものがあって、社会の中で生きていくために誰 […]

執着とこだわり

真言宗
執着とは

執着とは 執着とは一つのことに心をとらわれてしまい、そこから離れられなくなった状態のことで、仏教の修行の邪魔になります。 「こだわる」は気にしなくてもよいものが気に掛かり、気持ちが捉われること。 執着心について 執着心と […]

価値観とは-皆と同じでなくても良い

毘沙門天信仰
同じ家

価値観の論理 私達日本人は皆と同じであることに安心感を覚える民族であり、歴史的に見ても特に地方では困難な時代を乗り越えていくためには、皆が同じ価値観を持って生きていくことが生活の智慧とされてきました。 価値観について 私 […]

安心は仏教語です

毘沙門天信仰
安心とは

安心(あんじん)とは 一般的に使われる安心(あんしん)は気にかかることが無くて心が穏やかな事ですが、仏教では安心(あんじん)と言い、仏法の功徳によって得られた迷いの無い安らぎの境地のこと。 安心の境地 安心とは心穏やかで […]

お焼香は何回?

真言宗
焼香とは

焼香とは 焼香とは仏教に於いて香を焚くことで、神仏や死者に対して香を焚いて拝む作法のこと。 香の歴史 古代インドでは香木の有名な産地であり、熱帯の気候で物が腐りやすく悪臭が多いなどの理由で香を焚いて和らげることが行われて […]

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