読経とは
読経とは声に出して経典を読唱することで、一人で唱えたり大人数で声を揃えて唱えたりすることです。
経典は学ぶもの
釈迦の説いた説法は弟子達によって記憶されていて、釈迦入滅後には釈迦の弟子が次なる弟子に口伝えに伝授して更に次の弟子へと伝えることを繰り返していました。
釈迦の説いた法は弟子達によってその内容を確認する集会が何回も開かれることで正しく伝えられていったのです。
そういった口伝の法も正確さを保つためには経典に記録する必要性が生じてきたために、盛んに経典が編纂されるようになり、出来上がった経典は弟子達によって書き写されて仏教を学ぶための大切な教科書となったのです。
経典は仏教を学ぶための教科書という役割を持つことで、様々な解釈を付けた参考書のような経典も出てきたのです。
経典は覚えるもの
経典は釈迦の説いた真実の法ですから簡単に理解できる内容ではありませんが、覚えることによって理解が深まるものであり、極端な話、全く内容が分からなくても何回も繰り返し唱えている内にある日突然その意味が分ったりするものです。
経典は覚えるものであり、覚えるために声に出して唱えることを読経と言います。
読経は真実の法を体得するための方法であり、悟りに近づく修行でもあります。
読経の仕方
「読経」を多数で声を揃えて経典を読唱する場合には「諷経」(ふうぎん)と言い、多くの僧侶が声のよく響く堂内で読経する声は実に荘厳な雰囲気となります。
読経をする時に大切なことは、経本を合掌するような形で両手で恭しく持つことで、経典は釈迦の説いた法ですから、最高に丁寧に扱うことが求められ、僧侶は経本を決して床に置いたり片手で持つようなことはしません。
読経はたとえ経典を覚えていたにしても両手で持って読経する方法が最も丁寧な方法であり、「誦経」とは経典を暗記した上で経典を見ることなく声に出して唱えることを言います。
般若心経などの比較的短い経典は寺院に参拝した時や四国八十八箇所霊場や西国三十三観音霊場巡りなどで多用する経典ですので、経本を見ることなく何処でも読経出来るようにすれば、実際にとても役立つ経典となるはずです。
読経の功徳
読経は法を説き、学び、伝えることですから、仏教の修行法であり、経典の読経と真言の読誦などは神仏と合一するための大切な方法でもあります。
法を学ぶ
私達は時に善と悪、真実と嘘の区別が分からなくなり、知らないうちに悪業を重ねていることがあります。
仏法は真実を説く教えですから、法を学ぶことにより善と悪、真実と嘘の区別が分かるようになってくるのです。
正しく物事を観るための方法が仏法ですから、まずは法を学んで理解することが必要になります。
読経は法を学び、理解するということが最も大切な功徳であり、唱えれば唱えるほど真実に近づくことが出来るのです。
心の浄化
経典に書かれた内容は私達の魂を浄化して悟りに近づくためのノウハウであり、私達は俗世間の中で知らず知らずのうちに世渡りとして、或いは人付き合いということで心を汚してしまっているのですから、読経することにより真実の法の力で心が浄化され、広くて明るい心が持てるようになるのです。
私達は日頃から悪い心を持っていれば汚い言葉ばかり発するようになり、善い心を持っていれば綺麗な言葉を発するようになるのです。
綺麗な言葉を発する人は安心感があり、人を騙すようなことをしないので、多くの人に信頼されるようになります。