兜跋毘沙門天とは
兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)は足元に地天に両手で支えられ、両脇に二鬼を従える唐風の毘沙門天のこと。
兜跋とは
「兜跋」は「吐蕃」の訛であると言われ、吐蕃はソンツェン・ガンボが建国した7世紀から9世紀中ごろにかけてチベットにあった統一王国のこと。
チベット語でBod chen poと言い、偉大なチベットという意味です。
ソンツェン・ガンボについて
ソンツェン・ガンボはチベットを統一に導いた王であり、ネパールと唐から妃を迎えてインド仏教と中国仏教をチベットにもたらしました。
頭のターバンの頂上には阿弥陀如来の頭部が載っていて、ソンツェン・ガンボが阿弥陀如来の化身である観音菩薩の生まれ変わりであるとされています。
兜跋毘沙門天の由来
時は唐の玄宗(げんそう)皇帝時代、国土を奪う戦いで中国西域の安西城(あんせいじょう)が敵に包囲された時、僧侶達の祈りによって土地の神が地中から兜跋毘沙門天を湧出させて城の楼門に出現し、敵を退散させたという伝説があります。
地中から出てきた土地の神ということで地天女に支えられている像が作られたのです。
それ以来その後、中国では兜跋毘沙門天の仏像を都城の楼門上に守護神として祀る風習が続いたそうです。
兜跋毘沙門天の姿と形
兜跋毘沙門天は武将系の姿をしている毘沙門天の中でも最も異国風の姿をしていて、大地の神である地天に両足を支えられて立ち、2匹の鬼である尼藍婆、毘藍婆を従えています。
頭には筒状の宝冠をかぶり、外套状の金鎖甲(きんさこう)という鎖を編んで作った鎧を着て、腕には海老籠手(えびごて)と呼ぶ防具を着け、手には宝塔と宝棒・戟を持つ姿が一般的ですが、地天に支えられて二匹の鬼を従えた一般形の毘沙門天もあります。
我が国の兜跋毘沙門天
我が国では弘法大師空海が唐から招来して平安京の羅城門上にお祀りしていたものを現在では教王護国寺の毘沙門堂に安置されている像が国宝として有名です。
延暦二十年(801)、熱烈な毘沙門天信者であった征夷大将軍坂上田村麻呂は激戦の末に蝦夷を制しことに感謝して百八体の毘沙門像を祀る窟毘沙門堂を先勝の地である達谷窟(たがや)に造り国家鎮護の祈願所としました。
「兜跋」は「刀抜」「屠半」「百体」「百八」などの字があてられ、我が国でも国家的な祈願として百体、百八体毘沙門天が作成されました。
岡山県倉敷市安養寺には平安時代に百八体の等身大毘沙門天が造立され、その中心となる兜跋毘沙門天は重要文化財に指定されています。
兜跋毘沙門天信仰
真言宗やすらか庵の毘沙門堂にも兜跋毘沙門天がお祀りされています。
毘沙門天は四天王、七福神、家族神などの多岐にわたって信仰されていて、それだけ私達にとって身近な存在なのですが、外敵を防ぐという役割に於いて国家鎮護の大役を果たして居られるのですから、外敵を防ぎ、国を護り、家族を守るという毘沙門天信仰は、今の時代に最も必要なことではないでしょうか。
毘沙門天を礼拝する時の真言は…オンベイシラマンダヤソワカ
開運法は…毘沙門天開運法