不惜身命とは
不惜身命とは仏道を極める修行のためには身も命も惜しまないこと。
仏法は宝物
三宝と言われる仏・法・僧は
- 仏…悟りを開いた仏
- 法…仏の説いた真実の教え
- 僧…仏の教えを説き広める者
真の幸せの世界にたどり着くためには、この上ない宝物として大切にされ、私達が仏門に入る時にはこれらの宝物に対して帰依すること、つまり教えに従い全てを捧げることを誓うのです。
私達がこの世に生きている限り逃れることが出来ない苦しみは、たとえどんなに生まれ変わったところで永遠に続くのであり、その苦しみから脱する方法はただ一つ、悟りを得て浄土に行くことであり、浄土に行くためには身も命も惜しんではいけないのです。
命さえ惜しまない覚悟
釈迦が悟りを得るために難行苦行を繰り返し、断食行ではあばら骨が浮き出て、誰もが死んでしまったと思う程の苦行を続けたことは、悟りを得るためには命さえ惜しまないという思いの表れであり、生死さえも超えてしまおうという覚悟があったからこそ出来たことなのです。
私達が生きている限り煩悩が湧き出てくるのは執着心があるからであり、大切なもの、捨てたくないもの、守りたいものがある限りはしがみつき、お金や地位、名誉などを必死に守る中で最も捨てたくないものが命ですから、仏道のために命を捨てても構わないという覚悟は中々出来ないものです。
しかし命を捨てるようなことをしなくても、命がけということが大切であり、自分の一生を捧げますということが命がけなのです。
生まれてきた理由
私達がこの世に生まれてきたことに関して実は深い理由があり、生まれてくる時には何らかの使命を与えられているものです。
その使命に共通していることは魂の向上であり、その使命を全うするためには並々ならぬ努力が必要ですが、甘い蜜である煩悩の誘いに誘惑されて快楽の方向に走ってしまい、使命の事などすっかり忘れてしまうのです。
私達の人生なんてあっという間に過ぎ去ってしまうもので、自分の使命に気が付いた時にはもう遅かったとならないように、現れては消えゆく束の間の幸せにしがみつくよりは、真の意味での幸せを命がけで追い求めてみたいものです。