子孫長久、子孫繁栄とは

家族神

子孫長久、子孫繁栄とは、好きな人と結婚して子供を産んで家族になり、子の成長を見守りながら生活することで、更にその子が結婚して孫を産み、というように子や孫が繁栄していくことです。

人間の幸せ

人としての幸せはそれぞれの価値観によって違ってきますが、太古の昔から延々と続いてきた人間としての営みという観点からすれば、パートナーを持って子供を産み育て、家族で平和に暮らすという事が最大の幸せでした。

犬や猫などの動物でもパートナーを持って子供を産み育てることはしますが、いつまでも家族として居られる訳ではありませんので、家族と言う形態を持つという意味では私達人間は社会的動物ということになります。

家族が食に困ることなく健康で平和に暮らすということは単純なことではありますが、平和に暮らし続けるということは何時の時代でも困難なことだから故に普通の幸せはある意味最高の贅沢なのです。

他を思う心

子や孫は、自分にとっては血のつながった身内になりますので、身内の者が幸せになって欲しいという気持ちは誰にもあるもので、場合によっては自分が苦しい思いをしてまでも、子や孫だけは幸せになって欲しいと思うのが親心(おやごころ)なのです。

仏菩薩の心は他の苦しみを取り除き、楽を与える心であり、その対象は一切の衆生なのであって、たとえ身内であれ、その幸せを願うという心は正しい心なのです。

但し自分の子供や孫だけが幸せになって欲しいと限定的に願うことではありませんが、人間ですから多少のひいきはあるものです。

我が国の現状

我が国の人口は減少カーブを描き続け、高齢化社会が現実のものになって参りました。

高度経済成長の時代には若い夫婦と子供達の歓声が溢れていた学校、病院、スーパー完備の便利で快適な大型団地も、今となっては学校、病院、スーパーが全て撤退してしまい、不便な生活に耐え忍ぶ老人しかいない団地になってしまいました。

一人暮らしのお年寄りの方は、万一亡くなっていても周囲の人に気付かれないということもあり、お年寄りがお年寄りの安否を確認して回る世の中です。

これからは人口が減っていく弊害が顕著になります。国として経済、産業の衰退、固有伝統の喪失、財産の流出、文化の流出などの問題で、個人としては墓じまい散骨の問題が増えてきます。

人口の減少に伴って、後継者がいないという問題は、家が絶えていくということになり、家が絶えることによって先祖から受け継いできたものが失われるのです。

私達は古来より長い時間をかけて先祖からの魂を受け継いできましたが、次の者に引き継ぐことなく今の代で終わろうとしているのです。

このような衰退していく雰囲気の中では「これで終わりだからもういい」という考え方が蔓延し、全てが諦めの心になってしまいます。

毘沙門天と子孫長久

命の灯が消え行くまでの間にでも、より良き生き方をしようと思うのなら、今一度家族の大切さを思う事を毘沙門天は妻の吉祥天女と子の善膩師童子と共に私達に訴えかけているのです。

これからは毘沙門天信仰が重要な役割を果たします。今この時代に私達が忘れ去ろうとしている大切なことを気付かせてくれるのです。

たとえこの世に一人になっていても、亡き人も含めて家族です、決して独りぼっちではありません。

毘沙門天は家族の形をとることによって敢えて私達人間に真の幸せの姿を示しておられるのです。

私達人間としての幸せは子孫が続いていくことですが、たとえ絶えてしまうような状況になっても最後の最後まで皆が家族として和合することを説いているのです。

今回の仏画はやすらか庵での毘沙門堂にお祀りしてある毘沙門天吉祥天女善膩師童子を描いたものです。