死者の魔除けとは
昔ながらの葬儀をしている地方では、亡くなった人を寝かせる布団の上に魔除けのための刀やカミソリ、ハサミ、鏡などの魔除けの品物を置くことがあります。
死者の魂
人が亡くなるとすぐに魂が肉体から離れていき、自分の身体の上から、身内の人が自分に対して泣き叫んでいる姿を見て、何故泣き叫んでいるのか、その意味が分からないそうです。
チベットの死者の書は死者の魂が六道輪廻の中でも三悪趣に堕ちないようにしながらも仏教の最終到達点としての解脱に導くための経典で、僧侶が死者の枕元で四十九日にわたって読み続ける経典で、死者に対して今の状態がどのようになっているかを読み聞かる内容ですので、死後の世界の詳細を知ることが出来る経典です。
私達は自分の肉体を捨てて旅立つ時が必ず来るので肉体にはこだわらないことが大切で、むしろ魂が何処に向かうのかが最も重要なことなのです。
死者の肉体
死者は魂が抜けていてもしばらくの間は耳を通して周りの声を聞くことが出来るのですが、体の細胞の壊死が確実に始まっていることから、魔物が憑りつきやすいと言われています。
私達の身体は呼吸をして新鮮な酸素を体に採り入れ、心臓が動いて血液を体中に送ることで生きているのですから、心臓が止まり、呼吸が止まれば体の活動は停止して、忽ちに腐敗が始まるのです。
しかしながら家族の者にとっては亡き人の身体は少し前までは動いていたのであって、喜び悲しみ共に過ごした亡き人の身体がそこにあれば、何とか生き返って欲しいという望みを捨てることが出来ないのです。
魔物について
魔物は私達の身近な所に居て姿が見えず、正しい法を知らないので、人をたぶらかせたり悪さをするので、忌み嫌われる存在です。
魔物と言ってもその正体は悪鬼であったり疫病神などの神であったり霊的な存在などの総称としての魔物で、私達の眼で見えることが無く、気配で感じる人も居ます。
神仏が依り代に憑き、先祖が位牌に憑くように、目に見えない存在である魔物は憑りつく物を探し続けていますが、人間の肉体は最上の物であり、生きている人間に憑りつくことは至難の業ですが、死人に憑りつくことはたやすいために亡き人の肉体は魔物に狙われやすいのです。
魔除けとは
魔除けとは死者に憑りつこうとする魔物が嫌がる物を死守の傍に置くことで、魔物は「切る」ものや「光る」ものが嫌いなので、そういった物がある場所には近づくことが出来ません。
実際にそれを使って魔物を退治するというものではなくて、そこにあれば魔物が近付けないという物です。
実際に魔除けに使われる物
魔物に対するまよけに使われるものは昔から決まっています
守り刀
刀は武士が護身用に持っていたもので、時には人を斬ることに使われますが、戦国時代以前にも武器としての刀の歴史は古く、歴代天皇が権威の証として受け継いでいる三種の神器にも草薙剣(くさなぎのつるぎ)が含まれていることから、神聖なものとして扱われてきたのです。
「切る」と「光る」は魔物が嫌います。
死者を寝かせた布団の上には守り刀や小刀などを置いて魔除けにします。
はさみ
刀や小刀が無いような家でもハサミは大抵何処の家にでもあるものですから、すぐに取り出すことが出来る魔除けとしてハサミが使われます。
ハサミにも「切る」と「光る」の要素があります。
カミソリ
カミソリも昔は何処の家にでもあるもので、私の小学生の頃には鉛筆などもカミソリで削っていたものです。
今の時代はカッターナイフがありますのでとても便利ですが、カッターナイフよりもカミソリの方が薄いので、スパッと切れるイメージがあります。
カミソリにも「切る」と「光る」の要素があります。
鏡
鏡は「写す」ということから古代より魔性のあるものとされ、三種の神器では八咫鏡(やたのかがみ)として崇められています。
浄頗梨の鏡とは閻魔大王による裁判の時に嘘をつくようなことがあったら、生きている時の行動を全て映し出すと言われる「浄頗梨の鏡」に真実が映し出されるようになっていますので、嘘をつくようなことがあってもバレてしまうのです。
鏡は真実を写すという意味で魔物にとって自分の魔性が映し出されるので嫌われるのです。