南無阿弥陀仏とは
南無阿弥陀仏とは六字名号と言われ、阿弥陀仏に帰依することを表明する祈りの言葉。
六字名号とは
六字名号とは主に浄土宗や浄土真宗で唱えられる六文字の念仏「南無阿弥陀仏」のことです。
阿弥陀如来の前身である宝蔵菩薩の立てた誓いは「四十八願」であり、浄土教の基本となっているのが四十八願の中の第十八願で「私が仏になるとき、全ての人々が心から信じて、私の国に生まれたいと願い、十回でも念仏して、もし私の国に生まれることができないなら、私は決してさとりを開きません 。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます」これにより只ひたすらに念仏すれば救われると説くのです。
仏になるということは難行苦行を乗り越えても困難を極めることで、凡人には無理な目標ですが、出家・在家に関係なく「南無阿弥陀仏」を唱えさえすれば誰でも成仏することが出来ることは画期的な事であり、誰にでも出来ることですから、末法と言われる困難の時代にあって庶民の間に瞬く間に広がっていきました。
南無阿弥陀仏の唱え方
南無はサンスクリット語のナモー(namo)の音写で帰依しますということですから、南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏に帰依しますという意味です。
「なむあみだぶつ」を10回唱えるのが浄土宗で「十念」と言います。
十念の唱え方は
- 「なむあみだぶ」「なむあみだぶ」「なむあみだぶ」「なむあみだぶ」
- 「なむあみだぶ」「なむあみだぶ」「なむあみだぶ」「なむあみだぶ」
- 「なむあみだぶつ」
- 「なむあみだぶ」
のように最初の4称で息継ぎ、次の4称で息継ぎ、9称で「つ」を付けて最後の10称はゆっくりと唱えます。
浄土真宗では「なむあみだぶつ」を唱える数に決まりはありません。
何時でも唱えてよいとされ、唱え方にしても「なむあみだぶつ」「なんまんだぶ」「なまんだぶつ」など様々な唱え方があります。
阿弥陀如来に全てお任せ
私達は自分が何処から来たのか分からぬまま、そして自分の死後に何処に行くか分からぬままに、あっという間に人生は終わってしまうものです。
地獄には行きたくないけれど、極楽浄土は良い所だからどうせ行くのなら是非極楽浄土に行きたいものです。
しかし極楽浄土は悟りを開いた仏の住む処ですから、生きている時に娯楽浄土に行くのが無理ならば、せめて死んでから連れて行って欲しいと思うのが凡人の浅はかな考えですが、自分で修行することの出来なかった人にとって、極楽浄土に行ける最後の望みは阿弥陀如来に導いてもらうことなのです。
阿弥陀如来に導いてもらうにしても一生のうちに数回唱えただけで連れて行ってくれるような生易しいものではありません。
阿弥陀如来に完全に帰依し、阿弥陀如来に全てをお任せいたしますという信仰心が必要なのであって、それを表すのが「南無阿弥陀仏」であり、それは真言、マントラなのですから、とにかく唱えて唱えて、自分の身体と心が阿弥陀仏と一体になって救われるまで唱え続けるのです。