仏作って魂入れずとは

廬舎那仏の開眼

仏作って魂入れずとは仏像を作っても魂を入れなければ単なる木や石と同じであるという喩え。

開眼供養について

尼僧のイラスト

開眼供養とは入魂式、魂入れ、お性根入れなどと呼ばれ、礼拝の対象として仏像などを新しく造った時に魂を入れることで、僧侶や神官を招いて儀式として行います。

仏像以外ではお墓、仏壇、位牌などを新規に購入したり使い始める時に開眼供養します。

魂を入れるということは、礼拝の対象に神仏、先祖の霊などに憑いてもらうこと、天から降りて来てもらうことであり、石や木などの自然物や、自然物から作られた像などの対象物のことを依り代と言います。

依り代が巨岩の場合には磐座(いわくら)と言い、巨木の場合には御神木と言います。

魂の籠った物

禅海和尚のイラスト

開眼供養した仏像でなくとも、モノ作りの世界においては作者の魂が籠った物を目の前にした瞬間に感動するようなことがあります。

芸術作品を見て魂が震え上がるような思いをしたことがありませんか?

それは作者が思いや願いを込めながら、或いは自らの感動を相手に伝えようとして作っているからこそ、制作の一つ一つの工程にそういったエネルギーが込められているからなのです。

魂が籠ったものに関しては、その価値が分かる人が持つことが理想であり、特に仏像は仏法を広めるという使命がある以上、多くの人の眼に触れて、礼拝を続けることが大切ですが、もしどうしてもその継続が困難になった時にはやすらか庵にご相談下されば私が代わりに拝むことも可能です。

仏壇の中で大切にされてきたような仏像が不要になることがありましたら、お焚き上げ供養で天にお還しすることをおすすめいたします。

形だけは仏でも

僧侶の説明のイラスト

仏師の人は仏を彫る間は滝に打たれたり水行をしたりなどで身を浄め、読経しながら仏を彫るからこそ見る者の魂を打ち、信仰の対象として多くの人から大切にされ続けるのですが、それは仏像ではなく仏として扱われるからであって、仏そのものを皆の前に具現することを使命としているからなのです。

それだけ命がけで仏を彫るからこそ、仏と成り得るのであって、ただ単に仏の形をしている美術品ではないのです。

形あるものに対して命を吹き込む、魂を入れるということは相当な覚悟が無いと出来ないことで、本当に素晴らしいものは長い時代の間多くの人に大切にされ、どのようなことが起ころうとも命がけで守られて、次の時代に伝えら続けるれるのです。

一時期地方の有力者が競って大仏を作ることがブームになり、莫大なお金をかけて作られたテーマパーク的な大仏に多くの見物客が押し寄せて地域の観光名所にもなったことがありましたが、そういった観光名所も数十年の時が経ち訪問客の足が途絶え、建物が老朽化して管理出来なくなり、設立者が死去して管理者が不在になったまま放置されている大仏たちは、地域の人から危険だから撤去して欲しいとの要望があっても高額な撤去費用のために行政も対応しかねる事態になっているのです。

大金を掛けて作られた仏であって、多くの人が物珍しさに訪れた仏であっても、時間の経過と共に放置されるのは「仏作って魂入れず」の典型的な事例ではないかと思います。

仏は客寄せパンダではありませんし、観光資源でもありません。

誰かの供養のために作ったとしても個人的な供養であるのなら、大きい仏は必要ありません。

今の時代、形だけ立派な物が多くて、予算を使い切るために作ったけれど、利用者が少なすぎて、或いは使い勝手が悪すぎて廃墟になっている施設もまた数多くあり、これもまた「仏作って魂入れず」の事例かもしれません。

あなたの家には、魂を込めて作られたものがありますでしょうか?