鏡とは
鏡とは目に見える景色や物体などの可視光線を反射するもので、光の届かない所を照らしたり、自分の顔を写し出したりなどの目的で使います。
三種の神器
三種の神器とは皇位のしるしとして、代々の天皇が伝承する八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)の三つの宝物のことです。
神代の昔のことですが、高天原(たかまのはら)と言う所に神々が集う場所があり、太陽神である天照大神には弟の素盞嗚命(スサノオノミコト)が居ました。
ある時天照大神の織物小屋に馬を投げ込んだために、驚いた天の服織女が死んでしまう事件が起こり、激怒した天照大神は天岩戸に引き籠ってしまったので、以後は世の中が暗闇の世界になってしまったのです。
暗闇の世界になってしまって困った八百万の神々は天安河原(あまのやすかわら)に集まって様々な談議が交わされて、様々な方法で誘い出しましたが悉く失敗しました。
そこで天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が招霊(おがたま)の木の枝を手に持って踊りを舞い、其の回りで他の神々が笑い騒ぎ立て、大宴会が始まるとあまりの賑やかさに天照大神は岩戸をほんの少しだけ開けてのぞき見し、「太陽の神である自分が隠れているから外は真っ暗で皆が困っているはずなのに、どうして楽しそうにしているのか」と問いました。
天宇受賣命は「貴方様よりも貴い神が現れたので、それを喜んでいるのです、早速お連れします」と答えて鏡に天照大神の顔を写し出し、自分の顔だと分からなかった天照大神は更に良く見ようと体を乗り出した時に天手力雄大神(あめのたぢからおのおおかみ)が天照大神の手を取って引き出しました。
この時の鏡が八咫鏡と言われています。
多くの神社では鏡が御神体として祀られています。
御神体としての鏡
鏡餅の鏡とはこの世と神々の世界の境界という意味合いを持ち、この世の世界と神々の世界を行き来するための道具として、更には神が出現することから鏡自体が御神体として崇められるようになったものです。
映ると言うことが鏡の大きな特徴であり、写し出すということでは私達の眼には見えない世界である神々の世界やあの世の世界を写し出す力を秘めていると考えられたのです。
魔除けの鏡
鏡は光を跳ね返すという性質を持っていることから、魔物を跳ね返す力があると信じられています。
外に出かける時の魔除けとして使われることもありますし、死者に魔物が憑かないようにとの願いを込めて死者の傍に置くこともあります。
死者は亡くなった瞬間から魂が離れて、魂の無い肉体が残ることから、その肉体には様々な魔物が憑りつくと考えられていて、昔から死者を寝かせた布団の上には魔除けとして刀やハサミ、カミソリ、鏡などが魔除けとして置かれました。
鏡の処分
普通に化粧用に使っていた手鏡は不燃ごみとして出すことが出来ますので、自治体の指示に従って既定の袋に入れて出します。
割れてしまった鏡は新聞紙などに包んで尖った面が飛び出さないようにしましょう。
不燃ごみの指定の袋に入らないような姿見の鏡などは割って小さくすることも出来ますが、破片で怪我をすることもあり危険ですので粗大ごみとして出すようにしましょう。
鏡のお焚き上げ
魔除けとして使った鏡や神棚の中にお祀りした鏡などはゴミとして出すことに抵抗があるもので、罰が当たりそうな気がするものです。
特に御神体としての鏡は神棚や御神像、お札同様に長い年月に亘って礼拝されてきたものですから、お祓いなどした上で処分したいものです。
やすらか庵ではこのような鏡は毎日読経供養の上で実際のお焚き上げの火にかざしてお祓いして最終処分していますので、安心して依頼することが出来ます。