本心とは
本心とは心の中の包み隠すことの無い本当の気持ちのことで、人は本当に信頼できる相手にしか本心を見せることがありません。
夫婦であっても相手が本当のことを話してくれない、何か隠し事をしているようだと思うことはありませんか?
放っておけば後で後悔するかもしれません。
心の扉
心の扉とは心の入り口にある扉のことで、開いたり閉まったりする扉です。
天の世界では心の安らかな天人の集まりですから、相手を騙したり相手から騙されたりすることがありませんので、心の扉と言う概念は無く、心がむき出しの状態ですが、綺麗な状態であり、下心や妬みの心などがありませんので、誰から見られても潔白ですし、汚れたり傷つくようなこともありません。
天の世界の中でも毘沙門天は妃の吉祥天と子の善膩師童子と揃って家族の姿をしていますが、家族揃って幸せになる方法を説いていて、仏法の中にあっても常にお互いに支え合って声を掛け合い、それぞれの立場を生かして家族一丸となって困窮の衆生の救済という特別な任務を背負っておられるのです。
ところが私達人間の世界では欲望というものが溢れていて多くの人が群がっていますし、自分のことしか考えられないような人が多いので、なるべく自分の本心は隠しておいて、如何に相手を騙すか、如何に自分が得をするかの争いの世界であり、自分の本心を見られないようにするために、心の扉を閉ざしている人が多いのです。
心の扉が開いている人は誰に対しても明るく友好的で影日向なく接することが出来、心の扉が閉じている人は常に一人ぼっちで誰とも会おうとしません。
心の扉が開いているかどうかは、相手を信頼出来るか出来ないかで決まるもので、裏切られるようなことがある人に対して心の扉は閉ざされますが、それでも最後の砦として信頼出来る家族に対しては開いているものなのです。
本当の心である本心で話せるかどうかは、お互いの心の扉が開いていることが条件なのです。
心の傷
裏切られた、騙された、などの理由でその人に対して心の扉を閉ざしてしまうことがあります。
たとえ家族であっても暴力、暴言などの他に、一方的な考えを押し付けられる、意見を述べても理解してくれない、軽蔑されるなどの理由で心の扉を閉ざしてしまうこともあるのです。
人は相手と喧嘩した時に、怒りのあまりに思わず捨てゼリフを言ってしまうことがあり、
親から子に対しては
- 産まなければよかった
- あなただけが出来が悪い
- お父さんの悪い所と同じ
- 言われた通りにしなさい
- 悪い友達と付き合うから
夫婦間では
- 出ていけ
- 結婚しなければよかった
- 何時も我慢しているはこっちだ
- その態度は何だ
- 誰が稼いでいると思ってんだ
- そんなことも分からないのか
- 何時も上から目線
- 何様だと思っている
こういう事を言われたら心に深く傷を負うことになり、相手を信頼できなくなってしまいます。
心の傷というものは目に見える物ではありませんが、一旦相手から受けた心の傷は決して消えることが無いのです。
現代社会では一見普通に何の問題もなく生活しているような夫婦であっても、どちらかが心の扉を閉ざしていてずっと我慢していることに気が付かないという事が意外と多く、相方が亡くなってから日記帳を見てみたら、自分に対する不満ばかり書かれていたことに驚くと共に、今までの生活は何だったんだろうかという空しい思いに駆られるのです。
お人好しは騙される
生まれつき天真爛漫の性格を持ち、誰に対しても心の扉を開き、相手のことを最初から信頼する人がたまに居られますが、世の中こういう人ばかりならきっと良い世の中になるはずですが、世の中にはそういう人を最初から騙すつもりで近づく人もまた多く、「騙される方が悪い」という鉄則がまかり通るのが事実であり、最近では命の危険にさらされるような事件も多発しています。
「人を見たら泥棒だと思え」と言われる程物騒な世の中で、正直な人や真面目な人、お人好しの人は詐欺師の格好の餌食になるのです。
「簡単に相手を信じてはいけない」このような世の中では、誰もが心の扉を閉ざしてしまうのです。
価値観を認める
今の世の中、人それぞれに多様な価値観を持つことで成り立っています。
男性として生まれていても自分は女性だと気付く人もいますし、学歴社会に価値観を見出さない人や、人と接することが苦手な人などが居るのです。
一昔前の時代でしたらそういう人に対しては「世間並みにしなさい」とか「恥ずかしいから止めなさい」などの言葉で否定し、抑えつけられていたのですが、今の時代は「そういう考えもあるんだ」と前向きに肯定し、活躍できる場を探してあげることで秘められた才能が発揮できるのです。
相手に対して意見を聞かない、或いは意見を聞いても自分の考えを押し付けることで心の扉を閉ざしてしまう結果になり、生涯心の傷として残るだけで、何の成長もなくなってしまうのです。
たとえ違うと思っていても相手の価値観を認めることで相手の心の扉が開き、お互いの信頼関係が出来るのです。
信頼していると思ったのに裏切られたということは、本当に信頼されていなかっただけのことです。
自分から心の扉を開くこと
少なくとも家族の中では皆が心の扉を開いて自分の思いを述べましょう。
「心の扉を開きなさい」と相手に命令するのは間違いです。
「あなたが心の扉を開けば私も開きましょう」も間違いです。
心の扉はまず自分から開き、相手の価値観を認め、素直に話を聞くことから始まるのです。
お互いの信頼関係というものはこういう単純なことで構築されるのです。
自分から心の扉を開くとは
- 相手の話をよく聞く
- 相手の価値観を認める
- 自分の都合の悪いことも包み隠しなく言う
- 自分の意見を押し付けない
- 対等な立場で居ること
- 恨みなどの感情は捨てる
- 腹を立てないこと
- 笑顔で居られること
などで、仏様と言われるような方を見れば分かりますが、仏の世界では争いも対立も無く皆が本心で集い、騙したり騙されたりすることの無い世界では皆が穏やかで平和で居られるのです。
相手の本心が分からず後で後悔した時
夫婦で長く一緒に居て何の不満も無いと思っていたのに、相方の亡き後の遺品整理をしていた時に出てきた日記帳を見たら恐ろしいほどの自分に対する恨み言が書いてあったような場合には、どうしたら良いのでしょうか。
そんなことは無かったはずだと否定しても構いませんが、果たしてそのような気持ちで成仏と言いますか、あの世に迷うことなく行けたのかどうか気になってしまいます。
ましてや自分への恨みの気持ちが怨念として残っていないだろうかも気になります。
そのような時には亡き人の霊前で毎日謝り続けるしか方法はありません。
恨みを持ったまま亡くなったという亡くなり方に、大いに問題があります。
そのような亡くなり方をすれば、あまり良い世界に向かうことは出来ずに、結局は自分が困ることになってしまいます。
何とか助けて差し上げないといけませんし、おそらく助けて差し上げる人は他に居ないはずですので、ご自分で責任持って勤行、写経、写仏、巡礼などの様々な修行がありますので、供養のために実践してみて下さい。