日記帳について

日記帳

毎日書き続ける日記帳は、日々の出来事を記録した日記帳は自分の生きてきた記録であり、随分と時間が経ってから過去の日記帳を見てみますと、懐かしい思い出がこみあげてくるものです。

日記帳は宝物

故人様の遺品整理の時に故人が書いていた日記帳が出てきたら、見てはいけないと思いつつも見てみると、意外な事実が分かるようなこともあるのです。

厳しいばかりで嫌いだった親でも、実際は自分達のことを本当に思ってくれていたのだと分かった時に初めて、親の大切さが分かって、もっと親孝行すれば良かったと後悔しても時すでに遅しなのです。

日々の出来事を毎日綴るということは大変に根気の居ることですが、それでも毎日続けた結果としての日記帳は、並べてみますと、歳を取れば取るほど相当な量になるのです。

過去の記憶というものはどんどん忘れ去られていきますので、記録することがなければ思い出すことが出来なくなりますが、日記帳に書いてあれば鮮明な記憶として蘇ってきますので、悩み苦しんだ時期などは、後から振り返れば良い思い出になるのですから、日記帳は過去の思い出を見せてくれる宝物です。

日記帳は毎日の出来事を綴るものですが、書いている時には気が付かなくても、随分と後になってから人と人との不思議な御縁に気が付いたり、当時は失敗したと思っていたことが、実は失敗ではなかったと気が付いたりするもので、人生の不思議さを改めて気付かせてくれる宝物です。

続ける事

日記というものは毎日続けていますと、だんだんと書くことが無くなってきますし、同じことばかりの繰り返しで飽きてくるものです。

立派な日記帳を購入して始めてみたものの、一年も経たないうちに止めてしまうのは、熱しやすく冷めやすい人の典型であり、私達の毎日の出来事は変化に富んだ刺激的なものではなくて、意外と単調であるが故に書く内容がマンネリ化して興味が無くなることによるのではないでしょうか。

どんなことでも毎日続けるということは根気のいることで、日記をつけることが生活の一部になり、一日の出来事の反省点などを書くようになれば、次の日が有意義な一日になることにつながり、日記をつけることによる効果が現れるようになれば、生活の一部として欠かせないものになるのです。

日記帳の最後

日記帳は基本的に自分だけが見るものであり、時にはプライバシーにかかわるようなことも書くことがありますので、人に見られては困るという方も多いことでしょう。

人に見られては困るようなものでしたら、病気や突然の事故など、もし自分に万一のことがあったとしたら、日記帳をどうしようかと考えてしまいます。

病気や突然の事故などのことが無くても、自らの人生史としての日記帳は何時処分したら良いのか迷うもので、ある意味自分の過去を記した宝物でもあるが故に、捨ててしまうことは自らの過去を捨てると同じことだと思えば、思い切った捨てることが出来ないのです。

しかし万一自分が亡くなるような時には捨てられてしまう事、或いは過去の秘密を知られてしまうことを思えばやはり何時かは処分するという覚悟を持つことが必要ですが、死んでしまってから秘密を知られたところで、恥ずかしいことはないと開き直ることも出来そうです。

日記帳の処分

日記帳を処分するタイミングとしては自分が生きている時か、死後に誰かに処分されるかのどちらかになります。

終活として

終活とは自分の死後になるべく周りの人に迷惑を掛けないようにと、まだ生きている内に整理整頓して万一の時に備える準備活動の事です。

自らの死後に片付けなどでなるべく迷惑が掛からないように持ち物を減らし、必要最小限度の持ち物にして、葬儀や事務手続き、最終的な片付けなどの手配もしておきます。

終活をするような人には、なるべく周りの人に迷惑を掛けたくないという気持ちが強いことから、日記帳や写真アルバムなどは思い切って処分する方が多く、燃えるゴミでとして処分しても構いませんし、思い出を天に還すという意味からお焚き上げ供養の利用も良いと思います。

終活には心の準備が必要で、自分の死と向き合うことにより、残りの人生の生き方を真剣に考える良いチャンスになります。

遺品整理として

遺品整理で亡くなった方の片付け手をしている時に出てきた日記帳には、もしかしたら財産分与などの重要なことが書いてあるかもしれませんし、重大なことが書いてあっても遺言として成立することは困難ですが、故人の考えを知るための重要な証拠にもなりますので、重要なことが書いてあったら保管するようにします。

故人の日常を記した日記帳で、捨てても差し支えが無いのなら燃えるゴミとして処分しても構いませんし、故人に届けて差し上げるという意味でのお焚き上げ供養も良いかと思います。

日記帳は故人の人生を記した大切な物ですから、捨てるにしても乱暴に捨てるのではなくて、丁寧に合掌一礼をしてから白い紙にでも包んだ方が宜しいかと思います。

思い出って何だろう?

人にはそれぞれの人生があって、悩み苦しみながらも時には楽しく、時には真剣に生きてきた歴史があり、全ての記憶は脳に刻まれてはいるものの、だんだん思い出すことが出来なくなり、やがては肉体の死と共に全ての記憶が消滅していくのですが、人の魂には生きてきた記憶を持ったままで次なる目的地に向かう旅をしているのです。

そういう意味では思い出というものは自分が生きている時の指標となるもので、自分の生き方に影響を及ぼすものですから、日記帳に書いていなくても活かされているのです。

人が亡くなってからこの世に残す物は何もありません。

お墓が残っていますので、子孫の者が覚えている間は忘れられることはありませんが、時間の経過と共に子孫も途切れ、墓もなくなり、その人が生きてきた証は何一つ無くなるのが世の常なのです。

思い出は生きている時に楽しむものです。

そして自分一人だけではなくて家族で楽しむものなのです。