同行二人
同行二人(どうぎょうににん)とは四国八十八箇所霊場を巡礼する人が白衣や傘などに書き、巡礼の道中には自分一人だけではなくて弘法大師が傍に居てくれるという大師信仰を表したもの。
大師信仰
弘法大師は真言宗の開祖ですが、民衆の中にあって様々な場所で修行をし、困っている人たちの声を聞いては井戸を作り水を湧かせ、作物を実らせ、寺を作ったりとの伝説が全国各地に残っていることからすれば、困った民衆の救いの神として信仰されていたことが分かります。
弘法大師の生まれ故郷である四国でも各地で修行をしたり民衆のための救済事業を数多く行ったことによって、お大師様にお願いすれば必ず助けてくれるし、何時も傍に居てくれるという信仰が今の時代にまで続いているのです。
弘法大師の衆生救済の姿がお大師様なのであって、お遍路の道中でも一人一人を守ってくれるという信仰が同行二人なのです。
お遍路の人気の秘密
四国八十八箇所などの巡礼をしている人は「お遍路さん」と言われて、寺社巡りを通して人生を豊かにするために、或いは自分探しの旅として捉え、仏教の修行を肌で感じる有意義な体験として若者はもちろんのこと、特に中高年層に人気があります。
遍路というものは本来自らの修行として一人で歩くのが仏教の修行としての基本ですが、一人て歩いていますとどうしようもない孤独感や恐怖心に襲われたりすることがあります。
そういう時にお大師様が傍に居てくれると思いますと、何とも言いようのない有難い気持ちになり、再び歩き出すことが出来るのです。
そのことを忘れないように白衣や笠などに同行二人と書いて、口では真言を唱え、心ではお大師様と一緒に歩いている自らの姿を思うのです。
同行二人を思うことは修行
真言宗では三密行と言いまして身口意の修行を重んじていて、
- 身…手に印を結ぶこと
- 口…口で真言を唱えること
- 意…心で観想、瞑想すること
の三つの行があり、その中でも心で思う意行は大変に難しい行ですが、お遍路ではお大師様が傍に居てくれると思うだけで良いのです。
それを思い続ければ本当にお大師様がいつも傍に居てくれるようになるのですから、大変に有難い修行なのです。
お遍路の場合には、歩きながら想うという事が大切なことで、修験道などの山岳修行者は歩きながら祈り念仏し神神々を思うということを一心不乱に続けていると、いつの間にか不思議な力が授かるのです。
無くした相棒と共に歩く
同行二人はお大師様が傍に居てくれるという信仰ですが、二人というのは決して一人ではありませんよという意味での二人なのであって、相棒に先立たれた方が相棒の供養のためと言うことで巡礼することもあり、その場合には亡くした相棒と共に歩くということで構わないですし、お大師様と相棒と自分の三人で歩くということでも構わないのです。
昔から亡くなった人に会いたい時には熊野に行け、或いは四国を巡礼しなさいとも言われるのですが、修行の道中で相棒のことを思いながら歩けば、ある意味新しい発見もありますし、自らの気持ちの整理も付き、亡き人がいつも身近に居てくれることを感じるきっかけにもなるのです。