生身供(しょうじんぐ)とは
高野山奥の院では約1200年間、雨の日も雪の日も毎日欠かさずに続けられている儀式があります。
それは生身供(しょうじんぐ)と呼ばれるもので、奥の院御廟橋(ごびょうばし)手前の御供所で作られた料理を朝の6時と10時半に弘法大師の元に届けるのです。
生身供は高野山名物
御廟橋手前の御供所で作られた料理を朝6時と10時半に弘法大師の元に届けられます。
箱を2人の僧が担ぎ、先頭を維那(ゆいな)と呼ばれる仕待僧が歩き、御廟橋を渡って燈籠堂(とうろうどう)の中へお供えを届けることを毎日欠かさずに続けている様子は高野山名物として有名で、その様子を一目見ようと多くの観光客がカメラ片手に待機しているのです。
お食事を届けるという単純なことを1250年間毎日続けているということは、弘法大師様が今でも奥の院に居られて禅定を続けているという大師信仰の証なのです。
嘗試(あじみ)地蔵
生身供で弘法大師にお食事を届けるその前に嘗試(あじみ)地蔵に味見をしてもらうそうです。
お地蔵様にお供えしてお伺いし、味見ををして頂くことで弘法大師に供えるにふさわしい食事であることを確認してもらってからお届けするのです。
生身供のメニューは
気になる食事の内容は朝食がご飯と味噌汁、野菜のおかずが2品とほうじ茶、お昼はおかずが1品増えて3品になりメロンなどのデザートが出て、午後になると抹茶や緑茶、コーヒーなどもあるそうです。
時にはスパゲティなどの洋食が出ることもあり、新年を迎えるお正月にはおせち料理が出されるそうです。
また弘法大師が入定された日(承和2年3月21日)と同じ日には毎年新しい衣が届けられます。
生身供の決まり事
御廟の中には高僧である維那(ついな)しか入ることが許されていませんし、中の様子は絶対に他言してはいけない決まりですから、私達は中の様子を伺い知ることが出来ません。
弘法大師の様子は
弘法大師は今でも奥の院の御廟の中で禅定を続けているとされ、弘法大師が入定されてから90年程の年月が経過した延喜9年(921)醍醐天皇の枕元に立ち、長らく高野の岩陰にて禅定を続けていましたが、衣が痛んでしまったので、新しい衣を頂戴したいとの夢を見た天皇はすぐに東寺(教王護国寺)の長者である観賢(かんげん)僧正を呼んで新しい衣を下賜され、更に「弘法大師」の大師号を下賜されました。
観賢僧上は新しい衣を携えてすぐに奥の院の御廟の中に入ったところ、まるで生きているかのような弘法大師の姿があったそうです。
弘法大師は入定されたのですから、死んでいても生きている、つまり永遠の生命を身に付けて皆を救済するために禅定を続けているのです。
御供というものは御廟にお食事を届けて弘法大師がご飯を食べているというものではなくて、いつも私達を救って下さって有難う御座います、という感謝のお膳なのです。
それにしても毎日欠かさずに運び続けるということが凄いことで、伝統というものは長い時間をかけて作られるものです。