生身供

高野山奥の院では約1200年間、雨の日も雪の日も毎日欠かさずに続けられている儀式があります。

それは生身供(しょうじんぐ)と呼ばれるもので、御廟橋手前の御供所で作られた料理を朝の6時と10時半に弘法大師の元に届けるのです。

御廟の中には高僧である維那(ついな)しか入ることが許されていませんし、中の様子は絶対に他言してはいけない決まりですから、私達は中の様子を伺い知ることが出来ません。

弘法大師は今でも奥の院の御廟の中で禅定を続けているとされ、弘法大師が入定されてから90年程の年月が経過した延喜9年(921)醍醐天皇の枕元に立ち、長らく高野の岩陰にて禅定を続けていましたが、衣が痛んでしまったので、新しい衣を頂戴したいとの夢を見た天皇はすぐに東寺(教王護国寺)の長者である観賢(かんげん)僧正を呼んで新しい衣を下賜され、更に「弘法大師」の大師号を下賜されました。

観賢僧上は新しい衣を携えてすぐに奥の院の御廟の中に入ったところ、まるで生きているかのような弘法大師の姿があったそうです。

弘法大師は即身成仏されたのですから、死んでいても生きている、つまり永遠の生命を身に付けて皆を救済するために禅定を続けているのです。

御供というものは御廟にお食事を届けて弘法大師がご飯を食べているというものではなくて、いつも私達を救って下さって有難う御座います、という感謝のお膳なのです。

それにしても毎日欠かさずに運び続けるということが凄いことで、伝統というものは長い時間をかけて作られるものです。