五蘊盛苦とは
五蘊盛苦とは仏教で説かれる人間の苦しみである四苦八苦の一つで、五つの要素に執着するが故の苦しみということ。
五蘊とは
五蘊とは五つの要素のことで、色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)であり、人間の身体と心はこれらの五つの要素から成り立っています。
色(しき)
色とはこの世に存在する全ての物質のことで、五蘊では私達の「身体」のことを表しています。
私達の身体は生きている限り病気になったり怪我をしたりして苦しみ、遊びたい、おいしい物が食べたいなどの様々な指令に振り回されて、それが実現できなかった時には苦しみとなります。
身体が存在することで出てくる問題は、体が消滅すれば無くなります。
身体は寿命が来たら機能を停止してやがて消滅する事実を知る必要があります。
受(じゅ)
物事を見たり外界から刺激を受けたりする「心」の作用のことです。
外界からの刺激は人間同士が活動しているから起こるものと、自然や環境から受けるものとがあります。
私達は五感を通して外界から様々な刺激を受けていて、心地良い刺激もあれば不快な刺激もあります。
外界には雨が降ってきた、雷が鳴った、暑くなった、寒くなった、良い臭いがする、眩しいなどの実に様々な刺激があり、誰かに呼ばれた、手を振っているなどの人を通しての刺激もあります。
想(そう)
見た物に関してイメージする「心」の作用のことです。
外界からの刺激を受けて外界の事象がどのような姿形をしているのかを思い巡らせ、イメージを作り上げます。
おいしそうな匂いがしてきた時に、何の料理の匂いなのかとイメージすることです。
行(ぎょう)
外界の刺激の原因であるイメージしたものに対して、何らかの意思決定をして行動する「心」の作用のことです。
外界の刺激に対してとる行動のことで、作っている料理の良い匂いがして具材が煮えてきたから火を止めたのような行動としての意思決定です。
識(しき)
外界からの刺激とイメージ、そして意思決定を関連付ける総合的な「認識作用」のことで、経験として積み上げられることです。
今回の料理は少し焦がしてしまったから次回作る時には火を弱めにして、その分長く煮ようなどのことを経験を通して積み上げることで、外界の刺激の本質を知り、高度な認識が出来るようになります。
五蘊盛苦の苦しみとは
五蘊盛苦とは色・受・想・行・識のそれぞれに執着することで起こる苦しみのことです。
自分とは一体何なんだという問いから仏教は始まります。
自分とは身体と心で出来ていて常にその時々の様々な刺激に振り回されるばかりで、その本体のことを自分だと思っているけれど、知らないうちに外界の刺激に執着をしてしまって、自分なりの経験や考え方にも執着してしまい、それが苦しみの原因となって、どうにも出来ないでいる。
しかもそのどうにも出来ない身体と心の本体を自分だと思っているのです。
般若心経に説かれている「色即是空」は「色」つまりあらゆる物質にはそもそも実体が無いことから、私達の肉体にも実体が無いのでこだわってはいけないと説いているのです。