茨城県の弘法大師伝説

弘法大師空海が生涯の活躍を通して六十二歳で高野山奥の院に入定されるまでの間に日本全国を巡っていた形跡が数多く残っていて、自らの行として、仏法興隆のため、造寺建立のため、民衆救済のためにと全国を廻っていたその業績は膨大な数の伝説となり今でも地方に伝わっています。

真偽の程が定かではない話もたくさんありますが、弘法大師空海が偉大なる存在として全国に知れ渡り、ある意味神的な存在として崇拝されていることでもあるのです。

茨城県に残る弘法大師空海の伝説をご紹介致します。

水に関する伝説

*「弘法大師温泉」…茨城県日立市の伝承。「水」

弘法大師空海が巡錫で当地を訪れた際、発見した温泉。

*「弘法水」…茨城県つくば市の伝承。「水」

弘法大師空海が筑波山で修行していた際、独鈷で岩を突くと、そこから滾々と清水が湧き出た。

*「八瓶山」…茨城県城里町の伝承。「水」

弘法大師空海が当地を訪れた際、旱魃により村人が大変苦しでいた為、八瓶山の麓に八個の瓶を供え雨乞い祈願するとたちまち恵みの雨が降った。

*「徳蔵姫」…茨城県城里町の伝承。「水」

弘法大師空海が当地を訪れた際、逗留先の荻原長者大峰武郷の娘である徳蔵姫に見初められました。ある晩、姫のただならぬ雰囲気を察した弘法大師空海は急きょ自分を模した木像を彫刻して自分の寝床に忍ばせたその晩、姫は弘法大師空海の寝床に夜這いをかけて木像と一夜を過ごした翌朝、実は木像だった事を知って、それを苦にした姫は井戸に身を投げた。

*「弘法水」…茨城県古河市の伝承。「水」

弘法大師空海が巡錫で当地を訪れた際、一軒の民家に宿を求めたところ貧しい老婆と目の見えない息子がもてなしたことに感謝して霊水の場所を老婆に教え、この水で息子の目を良く洗うようにと告げ去って行った。

動植物に関する伝説

*「ちばひめ」…茨城県の伝承。「動植物」

僧がある家に宿を乞うたが主人は拒絶。あとで弘法大師空海だとわかり欅の大木に登って大声で呼んでいるうちに「ちばひめ」という蝉になった。

造寺、仏像に関する伝説

*「虚空蔵堂」…茨城県東海村の伝承。「造寺、仏像」

大同2年(807)に弘法大師空海が巡錫で当地を訪れた際、引き揚げられた霊木から虚空蔵菩薩像を彫刻。

*「板橋不動尊」…茨城県つくばみらい市板橋の伝承。「造寺、仏像」

大同3年(808)に弘法大師空海が当地を訪れた際、不動明王像を彫刻してお祀りした。

*「弘法大師堂」…茨城県つくば市の伝承。「造寺、仏像」

弘法の7不思議として、1:駒の足跡、2:木瓜、3:逆松、4:硯水、5:独鈷藤、6:五葉の杉、7:法越、が伝えられている。

*「実城寺」…茨城県つくば市の伝承。「造寺、仏像」

大同2年(807)、弘法大師空海が当地を訪れた際、仏像を彫刻してお祀りした。

*「筑波山」…茨城県つくば市の伝承。「造寺、仏像」

弘法大師空海が筑波山の月輪洞で修行をしていた時に筑波山神社の巫女が現われ、その御告げに従い筑波山神社の別当寺院である知足院中禅寺の本尊となる千手観音菩薩像を彫刻し、真言宗の霊場とした。

*「弘法大師の掛け軸」…茨城県城里町の伝承。「造寺、仏像」

弘法大師空海が阿弥陀如来を投げ筆で描いたものと伝えられる掛け軸が矢野家に伝わる。

*「大山寺」…茨城県城里町の伝承。「造寺、仏像」

弘仁元年(810)、弘法大師空海が当地を訪れた際に開山した。

*「円満」…茨城県古河市の伝承。「造寺、仏像」

大同4年(809)、弘法大師空海が出羽三山に登拝した帰りに開山した。

*「龍蔵院」…茨城県古河市柳橋の伝承。「造寺、仏像」

弘法大師空海が出羽三山に登拝した帰りで当地を訪れた時に、八大龍王が変化した老人に聖地へ導かれた事から、八大龍王の像を彫刻して開山した。

*「日輪寺」…茨城県大子町の伝承。「造寺、仏像」

大同2年(807)、弘法大師空海が巡錫で当地を訪れた際、本尊となる十一面観世音像を彫刻し当寺を再興。

*「滝野不動堂」…茨城県笠間市の伝承。「造寺、仏像」

弘法大師空海が当地を訪れた際、屏風岩に爪で不動尊の姿を刻んだ。

命名に関する伝説

*「閑居山」…茨城県霞ヶ浦市の伝承。「命名」

弘法大師空海がこの山の洞穴に閑居した事が山の名称になった。

*「沓掛香取神社」…茨城県坂東市の伝承。「命名」

大同2年(809)、弘法大師空海が当社を訪れた際、本地仏として十一面観音を勧請して、別当寺院である金乗院を創建。

*「鶏足山」…茨城県城里町の伝承。「命名」

弘法大師空海が護摩焚石の上で修行していた時、鶏の鳴き声に導かれて近寄ってみると、山頂付近に鶏のトサカに見える「鶏石」があった事から、「鶏足山」と名付けられた。