思いやりとは
思いやりとは相手の身になって考えたり行動したりすることで、相手に対する気遣いのこと。
相手を思う事
自分と相手が居る時に、たとえば恋人同士ならベンチに腰掛ける時に彼氏が彼女の座る場所をハンカチで拭いてあげることやハンカチを座る場所に置いてあげることが思いやりです。
彼女がベンチに腰掛ける時に服が汚れないようにとの気遣いがこのような行動につながる訳で、相手のことを思うからこそ出来ることなのです。
その彼氏にしても、友達同士の時にはベンチをハンカチで拭くようなことはしないのに、彼女といる時にするのは、彼女を特別に大切にしているからなのですが、彼女に気に入ってもらえるようにとの下心がある場合には、ある程度付き合いが長くなれば自然と止めてしまうような気遣いなのです。
思いやりを形にしたら
思いやりは相手を思うという心の問題ですが、必ず形になって現れるもので、世の中に定着している思いやりとしてはレディーファスト、優先席などです。
レディーファースト
女性がエレベーターに乗り降りする時に男性が扉を押さえて女性を先に乗り降りさせる、車の乗り降りの時に扉を開けてエスコートするなどが一般的なレディーファーストの習慣ですが、欧米での本来のレディーファーストは女性の身分が低かったが故に男性の身を守るために先に歩かせたことがその由来だそうです。
我が国でのレディーファーストの受け止め方としては、女性は男性に比べて力が小さく社会的弱者とされ、マタニティー時には母体と赤ちゃんを守ることが子供を健全に育てる社会としての使命があることなどの理由によります。
恋人同士の男性が女性に対してレディーファーストを実践するのは下心ありなのかもしれませんが、それでも気を遣ってもらう方としては悪くないものです。
優先席
公共交通機関の電車やバスに設置されている交通弱者のための優先席は高齢者、障害者、傷病者、妊婦などが優先的に座ることが出来る席のことで、空いていれば誰でも座ることが出来ますが、混雑時には交通弱者のために空けておく、譲るなどの配慮が必要になります。
しかし現実はたとえ健全な人であっても交通弱者に対して席を譲らない人が居たり、席を譲ってもらってもお礼の一言もない人が居ることなどで優先席の存在は常に議論の的になっています。
人々の気遣いや心遣いで成り立っている仕組みは時として満足に機能しないことがあるのです。
思いやりは利他行
仏教の基本は他を思う心であり、利他行の実践です。
天の世界や仏の世界では自分の利益のための行いではなくて、他の利益のための行いが尊ばれるのですから、気遣いや心遣いだけが存在する世界なのです。
しかし思いやりの実践は家庭の中でも出来ます。
親の立場であれば子の幸せを思い、夫婦の立場であれば相手の幸せを思い、願うのです。
相手が自分の思い通りにならない時に、自分の都合で相手を変えようとしても絶対に変わることはありません。
自分が変わることが思いやりになるのです。
思いやりの実践としては
- 相手が喜ぶことをして差し上げること
- 相手に合わせてあげること
- 相手に合わせるために自分が変わること
が大切で、少々の自分の犠牲があっても、相手の幸せを優先させるのです。
電車の席でもそうです、別に優先席でなくても、たとえ自分が疲れている時でも弱者の方が居られたら、気持ちよく「どうぞ」と席を譲って差し上げることが思いやりです。
そして思いやりには「見返り」を期待してはいけません。