老苦とは
老苦とは釈迦の説く人間としての苦しみである四苦八苦の一つで、歳を取ることによって生じてくる様々な苦しみのこと。
老いは苦しみだろうか
人間誰しも歳を取るようになっていて、それぞれの年代での楽しみは世の中にたくさん存在し、たとえば百歳近い老人であっても老人クラブで知り合った相手と良きパートナーになって一緒に暮らすようになったり、或いはもっと若い子と遊びたいという人も実際には居る訳で、第二の人生、第三の人生を謳歌出来るのは、今の時代がまだ平和であることの証なのです。
歳を取ってくれば身体のいろんな機能が衰えて来て、若い時のように自由に動き回ることが困難になってきますが、現代では介護の施設や機械が充実していますので、平均寿命も延び続けて今後はますます高齢化社会になってくるのです。
老いの苦しみ
しかし実際に人間歳を取れば若い時に比べて様々な面で体の機能が劣ってきますので、それを苦しみと思うならば、苦しみはどんどん増えるもので
- 目が見えなくなってきた
- 耳が聞こえなくなってきた
- 歯が抜けてしまった
- 腰が曲がってきた
- 肩や腰が痛い
- 歩けない
- 動けない
- 食べることが出来ない
などのことで苦痛が増えるばかり、若い時には何でも自分で出来ていたのに、もう何も出来なくなった、それでも天寿を全うするまで生きていくしかないのです。
老いの苦しみを克服するには
老いと共に出てくる様々な障害に対して全てを素直に受け入れることが出来るのなら、それは少なくとも精神的な苦痛にはなりません。
歳を取ったのだから多少のことは仕方ないと諦めることが出来れば良いのです。
現実を受け入れるしかないのです。
病気は治れば元の健康な状態に戻りますが、老いに関しては過ぎ去った時間が戻ることは決してありません。
古今東西悠久の昔から「不老長寿」は人類の究極の課題であり、実に様々な方法が試されましたが、未だに実現しないのは無理な注文だと分かってはいても、何時の時代に於いても挑戦し続ける人が後を絶たないのです。
しかし誰しも「老い」の後に必ずやってくる「死」を見据えた上で残りの人生を有意義に生きていくには、決して欲張ることなく、今出来ることを今確実にするという日々を送るしかありません。
出来なくなってしまったことを嘆くよりは、まだ出来ることを喜べば苦しみが苦しみでなくなります。
老苦と仏教
老いの境地になりますと苦しみばかりではなくて実際には楽しみもありますので、如来の悟りの世界である極楽浄土の世界が苦しみの無い世界であることを考えますと、この世で楽しむということを知らなければ極楽浄土の良さが分からないのではないかと思います。
そして苦しみを知らなければ楽の良さは分からないのです。
楽しむにしても自分一人だけ楽しむようでは人から嫌われてしまいますし、人を楽しませることにより、自分も楽しむ利他行という楽しみ方、もしくは人の苦しみを取り除いて楽を与える抜苦与楽が仏教的な楽しみなのです。