阿修羅とは
阿修羅とは衆生が輪廻転生する六道に於いて畜生界の上で人間界の下に位置する世界の住人のこと。
阿修羅像の姿と形
阿修羅は三面六臂、三つの顔と六本の手の場合が多く、他には三面四臂、三面二臂の像もあります。
衣服は腰巻と肩から腰に掛ける条帛(じょうはく)に胸飾り、腕飾りを付けています。
持物がある時には胸の前で合掌し、中の手で弓と矢を持ち、上の手で日輪と月輪を持ち、顔の表情としては悲哀の表情だと言われています。
阿修羅と帝釈天
阿修羅は元々は天界の住人でありましたが、帝釈天が同じ天界に住む阿修羅の娘シャチー(舎脂)に一目ぼれして連れ去ったことから、阿修羅は激怒して数多くの戦いを挑むも負け続け、最後には戦いの鬼となってしまったことから天界から追放されて、人間界よりも低い阿修羅界の住人となり、阿修羅界を支配するようになりました。
阿修羅は天界に居たにも関わらず怒りの心を静めることが出来なかったために阿修羅界の支配者になったのです。
また阿修羅は仏法に帰依したことから、釈迦の天竜八部衆の一人でもあり、仏法の守護を任されています。
阿修羅界とは
「正法念処経」によれば、餓鬼と畜生に繋がる阿修羅が居て、神通力を持つ魔羅身餓鬼の阿修羅と、海底地下84000由旬を住処とする畜生道の阿修羅に分類されます。
「正法念処経」によれば寿命は5000歳で、衣食は望むままに現れて、天界と変わらない上等なものが得られるそうです。
阿修羅界では形色、楽、寿命の三つが天界と同じで人間よりも優れる素晴らしい世界ですが、能力に優れているが故にプライドをかけた争いが絶えず、この戦いの様子のことを「修羅場」と言うのです。
怒りの心と阿修羅
仏教で言う所の最大の煩悩は「三毒」と言われ「貪瞋痴」の心です。
この内でも瞋(じん)…怒りの心は地獄、餓鬼、畜生、そして阿修羅の世界に繋がっています。
但し阿修羅の世界に繋がるような怒りの心は高度なものであり、
- 絶対に自分が正しい
- 自分が正しいことは何時でも証明できる
- 相手を言い負かす自信がある
- 文句があるなら何時でも受けて立つ
- 絶対に許さない
- 理論では負けない
- 相手が間違っている
などのことであり、全てのことがプライドの塊みたいなもので、頭脳明晰が故に陥りやすいこだわりなのです。
阿修羅道からの脱出
阿修羅の世界は煩悩としてのプライドの塊であり、私達人間の世界でもプライドの衝突が常に起こっているのです。
プライドを捨てること
阿修羅が阿修羅である原因は自分が優れているというプライド同士の衝突です。
自分が正しい、間違っていないなどのことは、自分が相手に対して優位であることの証なのです。
ましてや正しくない人が評価されて上に立ち、正しいことをしている自分の方が低く見られているようなことは、絶対に許せないことなのです。
私達人間の世界でもそうですが、競争社会というものは、プライドの上に成り立っていて、仏教的に言えばプライドなんて何の意味もない煩悩であって、自己満足にすぎないことなのですが、プライドこそが競争世界を成り立たせている原動力であり、経済の発展に貢献しているのです。
しかしプライドがあるが故に他者と争いになったり、傷つけ合うようなこともよくあることで、競争社会から離れて冷静に考えれば、愚かなことをしている自分が嫌になるのです。
プライドは持っていても構いませんが、人と争いになるような場合には、一旦捨ててみましょう。
先ほどの阿修羅の世界の怒りの心の原因
- 絶対に自分が正しい
- 自分が正しいことは何時でも証明できる
- 相手を言い負かす自信がある
- 文句があるなら何時でも受けて立つ
- 絶対に許さない
- 理論では負けない
- 相手が間違っている
これらのプライドを捨てた形は次のようになります
- 間違っていなければそれでよい良い
- 正しいかどうかは天が決めること
- 相手の意見も尊重しよう
- 平和に解決しましょう
- すぐに許せます
- 意見の交換は必要です
- 私も間違っているかもしれない
このようになります。
別に阿修羅の心を捨てたからと言って何か損をするようなことは決してありません。
プライドを捨てたら
- 多くの人に慕われます
- 信頼されるようになります
- 心が楽になります
- 他人の良い所が見えてきます
- 周囲が明るくなります
- 性格が穏やかになります
良いことばかりになってきます。
これで天の世界に一歩近づいたことになるのです。