目次
ごめんなさい
ごめんなさいとは自分の過ちを詫びる時或いは自分の失礼に対して許しを請う時の言葉です。
ごめんなさいとプライド
六道の世界の中でも阿修羅の世界は私達人間の世界よりも優れた頭脳と文明を持っているにも関わらず、私達人間の世界よりも下の世界に位置付けられている理由は、優秀さ故のプライドがあって、自分の方が絶対に優れている、絶対に間違えることがないという信念が強いばかりに、常に争いとなって戦い続け、負けるようなことがあっても絶対に認めない、謝らない者で構成された世界なのです。
阿修羅はたとえ自分が間違っていても絶対に自分の非を認めないし謝らないのですから、何時までも平和な世界が訪れることが無いのです。
謝るということは負けた、自分の非を認めたということですから、プライドの高い人が失敗したとしても謝らないのはプライドの成せる業なのです。
ごめんなさいと土下座
私達日本人は相手の間違いを謝罪させるために「土下座」を強要させることがあります。
銀行を舞台にした日曜劇場「半沢直樹」の中での「やれー!半沢ぁ!土下座をしろと言ってるんだ!」は名ゼリフとして残っています。
香川照之演じる大和田が堺雅人演じる半沢直樹に馬乗りになって「土下座しろ!」と迫りますが、必死でこらえて顔をゆがめながらも大和田を振り飛ばしたシーンです。
土下座というものは謝罪の中でも最高の屈辱であり、その屈辱を強要される側になってみれば耐え難いものです。
土下座に表されるように私達日本人の心の中では謝るという事が恥ずかしい事であり、いとも簡単に謝るような気軽な事ではないという価値観を持っているように思います。
特に九州の男の人は無口な人が多いですが、多くを語らないと共に謝らないという悪い面を持っていると思います。
「そんな恥ずかしいもんは男のすることじゃなか」と言われそうです。
ごめんなさいと謝罪することは罪の償いとして行うことであり、辱めに会うということの最たる形が「土下座」なのです。
ごめんなさいは言いにくい
ごめんなさいという謝罪の言葉は中々普通には言いにくいもので、あまりに気やすく言いますと、軽い人だと思われそうです。
そしていつも謝ってばかりいる人は失敗ばかりする人で、何でも謝れば済むと思っている、という風に見られてしまいます。
悪いことをしたり迷惑を掛けたりした時に、真剣に相手に謝ればその気持ちは充分に伝わるはずですし、却って仲が良くなったり信頼してもらえることにつながるのです。
ごめんなさいはとても言いにくいことですが、言い慣れていないと覚悟が必要になってきます。
ごめんなさいとありがとう
「ごめんなさい」と「ありがとう」は挨拶だと思って、いつも気軽に言いましょう。
軽い人だと思われても構いません、習慣にするのです。
そうすれば何かあった時に、とっさに「ごめんなさい」が言えるのです。
言おうか言うまいかと悩む必要はありません、すぐにその場でいうことが大切なのです。
重大な過ちの場合には、改めてお詫びを言いに行きましょう。
最初にごめんなさいと言うだけで相手の印象が全く違うのです。
「ありがとう」も同じで、いつも言うように致しましょう。
仏の心
仏様は許しを請う人に対して許します、ごめんなさいと謝れば必ず許して下さいます。
ごめんなさいが言える人は仏様に好かれる
悪いことをしたことに気が付いてごめんなさいとすぐに謝ることの出来る人は仏様に好かれます。
仏は慈悲の心を持つからです。
仏の世界に近づくためには
- 良いことをする
- 悪いことをしたら謝る
この二つの心が大切なのです。
人間ですから誰でも失敗もしますし、魔が差すこともあるのです。
しかし悪いことと気が付いたらすぐにごめんなさいと謝れば良いのです。
自分の為した行いは元に戻すことは出来ません、謝らなければ他人を苦しませてしまいますが、謝れば和解することが出来るのです。
天の世界を作り出そう
絶対に謝らない人ばかりの世界は阿修羅の世界になってしまいます。
気持ちよく謝って、気持ちよく許せる世界は仏の世界に近づきます。
この世を浄土にすることは難しいかもしれませんが、天の世界に近づけることは可能です。
相手とコミュニケーションするために挨拶をする、感謝する、謝ることは毘沙門天信仰なのです。
毘沙門天は妃の吉祥天女と子の善膩師童子と共に家族神として私達の世界を守護しているのです。
私達の世界を住みよい世界にするためにも「ごめんなさい」の言葉を大切にしていきましょう。