帰依とは
帰依とは自分の身心を捧げて信じ従い、生活の拠り所にすること。
仏教の帰依とは
「依」はよる、もたれる、頼るなどの意味があり「帰」は従うという意味があることから、頼り従うこと。
仏教に於ける帰依とは三帰五戒を守ることを誓い、仏門に入ることであります。
三帰とは
三帰依とは仏・法・僧の三宝に帰依することで、真言宗の勤行でも最初に「帰依仏、帰依法、帰依僧」と唱えられる大切な部分です。
帰依仏
釈迦はこの世に実在する人間として初めて悟りを開いた方であり、如来になった方で、その教えは釈迦入滅後2500年以上経過した現代にまで仏教として私達に伝わっています。
仏教を開いた釈迦は如来として、迷いの世界で苦しむ衆生の救済を続けているので、釈迦に帰依することは迷いの世界から仏の世界へ救済されるための第一歩なのです。
帰依法
釈迦の説いた法は仏法として学ぶことが出来、生活の中で実践することも出来ます。
真言宗の場合には真言宗の勤行の中に実践すべき項目が入っていますので、まずは毎日勤行をして唱えてみることです。
釈迦は説法の旅を終えて80歳になった頃、パーヴァー という場所で鍛冶屋のチュンダに法を説き供養を受けた後、マッラ国のクシナガラの近く、ヒランニャバッティ河のほとりのサーラ樹の下で涅槃に入りましたが、最後に弟子に残した言葉が「自灯明法灯明」でした。
「自灯明法灯明」は「他を頼りにすることなく自分を灯明の明かりとして進み、正しい法を灯明の明かりとして進みなさい」という事です。
釈迦が居なくなってしまうことを心配したアーナンダに対して、私が居なくなっても、私を頼りにするのではなくて、自分自身を頼りにし、そして正しい法を頼りにしなさいということなのです。
帰依僧
何時の時代にも仏法を説き伝えるのが出家した僧侶の役目です。
僧侶の本来の役目は法事や葬式をすることだけではなくて、仏法を伝え広めること、布教なのです。
僧侶が正しい法を説いてくれるからこそ尊いのであって、立派な袈裟を着て読経をするから尊いのではないのです。
戒律を守り仏法に即した生活を送り、正しい法を説く僧侶に帰依することは悟りに向かう第一歩なのです。