不飲酒戒とは

不飲酒戒

不飲酒戒とは仏教で在家の人が守るべき五つの戒の最後の戒で、酒を飲んではいけないという戒です。

不飲酒戒の位置付け

仏教には在家の人が守る五戒というものがあり、次の五つです。

不殺生戒(ふせっしょうかい)…生き物を故意に殺してはならない
不偸盗戒(ふちゅうとうかい)…他人のものを盗んではいけない
不邪婬戒(ふじゃいんかい)…不道徳な性行為を行ってはならない
不妄語戒(ふもうごかい) …嘘をついてはいけない
不飲酒戒(ふおんじゅかい)…酒を飲んではならない

殺生や偸盗は罪の中でも重たい罪ですから戒の上位に来ていて、一番最後にある不飲酒戒の位置付けとしては低くなっていますので、罪としては軽いということなのですが、飲酒は仏道を実践していく上で邪魔をするからです。

仏道における飲酒とは

お酒に含まれるアルコールは気分をリラックスさせる効果があることと、宗教的な幻想体験が得られることなどから、お酒は有史以来利用されてきたという長い歴史があります。

また神に捧げるための供物としても扱われ、供物の中でも上等の部類に属します。

神道では米、酒、塩が定番の御供え物になります。

仏教ではこの世の真実の姿を観るための修行をするためには、あらゆる欲望を断ち、心の寂静を目指しますので、お酒というものは心の寂静を乱して真実の世界を観ることが出来なくなるから止めなさいと説くのです。

そしてお酒は飲みすぎますと気持ちが大きくなって嘘をついたり、言い争いになって喧嘩をしたり、善悪の正しい判断が出来なくなって悪事を働いたりすることにも繋がるのです。

皆さんの中にもお酒を飲み過ぎて自分のしたことを覚えていないとか、ふざけて物を壊したりした覚えのある方は少なくないと思います。

適量ならば薬

お酒は適量ならば体のためにも良いとすすめるお医者さんもいますし、適量を楽しむなら良いのではないかかという意見もたくさんあります。

しかし仏教でお酒を禁止しているのには大きな理由があるはずです。

お酒を飲んで気持ち良くなったり、ストレスから解放されたと思っていても、その効果が永遠には続かずに無くなってしまい、また欲しくなるからです。

欲望を満足させるために使う時間があるのであれば、心の平安のために時間を使いなさいということであり、お酒を飲んでの安らぎの境地は幻であり、本当の安らぎの境地はお酒を飲んで実現出来るものではないからなのです。

お酒を飲む口実「般若湯」

仏教では悟りを目指す以上、魂を汚すことと、心を乱すことは禁止され、生活の指針は戒律という形で示されていますが、昔から僧侶はお酒のことを知恵を授ける薬「般若湯」(はんにゃとう)と言って、絶対にお酒であるとは言いませんでした。

お酒ではないから飲んでも良いと言うような抜け道を作って飲酒を正当化しているのです。

しかしお釈迦様ならこう言うでしょう、「私達の生きている時間はほんの少しの時間であって、修行して魂の浄化に努めなければ苦しみの連続から決して抜け出すことが出来ません、魂を汚すことばかりしていてはいけませんよ」

仏教では欲望を捨てないといけないのです。

お酒を飲みたいというのも欲望であり、人間道としてはささやかな楽しみなのですが、ささやかな楽しみというものはそれだけで終わってしまい、また次の欲望が湧いてくると。

仏教では「もっと素晴らしい世界があるのですから、よくご覧なさい」と説き、「もっと素晴らしい世界に行きましょう」と説いているのです。

般若心経の最後に大切なことが書かれています。

「掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧婆訶」

(さあ行こう、仏の国に、悟りを得た者と共に行こう、悟りあれ、幸いあれ)