護美とは
ゴミとは不要になった物で捨てる物のことですが「護美」と書くことがあり、特に寺院では「護美箱」と書いた箱は美しさを護るための箱という仏教的な思想の箱のことです。
護美箱について
「護美箱」というあて時は昭和になって生まれたそうで、朝日新聞の昭和37年12月10日付夕刊の「今日の問題」という記事に、「護美箱」に関する記述があり、この頃に護美箱という言葉が使われていたようです。
時は高度経済成長の最中で、ゴミ問題がだんだんと意識されるようになってきた頃ですが、九州のある市で、市が規格品のゴミ箱を配ったのですが、それに「護美箱」と書いてあったことから、そんな仰々しい名前を付けるのはおこがましい、と批判が続出した、というのです。
東大寺の護美箱
東大寺に隣接する奈良公園には国の天然記念物である鹿がたくさん居ますので、ビニールなどを間違って食べてしまわないようにゴミ箱が設置されていません。
ところが東大寺には「護美箱」と書かれた古風なゴミ箱が50年以上前からあったそうで、今でも置かれています。
木製の箱でゴミ箱の原点とも言える形をしていて、歴史と伝統ある文化財の美観を損ねない形が素晴らしいと思います。
平安時代からあったと言われても不思議ではありません。
永平寺の護美箱
永平寺は禅宗の寺院ですから戒律が厳しくて掃除が大切な修行とされていることから、堂内の廊下はいつもピカピカでゴミ一つ落ちていないのです。
ところがこのような綺麗な堂内にも護美箱と書いた箱がたくさんあるそうです。
ゴミが落ちていない所に護美箱がたくさんあるのは不思議な感じがするのですが、この箱を見ることでゴミを落とさない、そして落ちていたら拾って入れることを知らしめるための箱なのです。
もっと言えば心のゴミを捨てるためのゴミ箱なのです。
堂内を清掃するのは御本尊に対する御供えであって、功徳を積むための修行なのですから、まさに仏教の思想が活かされている箱なのです。
ゴミが落ちていたら
自分の家は綺麗にするのに外に出たらゴミを平気で捨てる人が居ます。
車の窓からタバコの吸い殻や空き缶などのゴミを投げ捨てる人が居ます。
交差点の赤信号で止まっている車から道路の植え込みにゴミを投げ捨てる人が居ます。
人通りのない山林には業者が処理費用を浮かすために捨てた不法投棄のゴミが至る所に見られます。
ゴミは環境を汚しますので、見ると心が痛むものです。
身の回りにゴミが落ちていたら何も考えずに拾って捨てることです。
「誰が捨てた」「何時捨てた」「何故捨てた」などのことを考えると怒りの心が湧いてくるだけです。
究極の護美箱
今の時代、何処の自治体もゴミを燃やした灰の最終処分場の確保が困難になってきていて、ゴミはなるべく出さないことが求められています。
再利用やリサイクルの観点から徹底した分別処理をしないといけない時代になりました。
物を作る側、販売する側、買う側共にゴミを減らすことが求められているのです。
一昔前までは無料だった一般家庭のゴミ処理も今では有料になり、駅などの公共施設を始めとして、街の至る所にあったゴミ箱も撤去されています。
ゴミ箱を置いていると家庭ごみや処理に困ったゴミを捨てる人が後を絶たず、環境美化の目的が達成しないばかりか、不法投棄のゴミを助長してしまっているのです。
究極のゴミ箱は中に何も入っていないゴミ箱で、誰も利用しないのだけれども、そこにあるだけで心の中にある怒りや貪り、恨みなどの不要なものを入れて穏やかな心になることが出来る、それが究極の「護美箱」であって、寺院に備え付けられている理由のような気がします。
誰の心の中にでもある怒りや妬み、無智の心は心の平安を乱すものであり、仏教ではゴミと同様、不要なものであり、最初から持ってはいけないものなのです。
護美箱に入らないゴミ
そうは言っても私達の実際の生活では毎日たくさんのゴミが出る訳で、消費文明の中に居る以上はいろんな物を持ってしまうのですが、なるべくゴミを出さないためには終活をするのが効果的で、小欲知足で必要最小限の生活をしていれば余計な物を欲しがることも無く、心穏やかに過ごすことが出来ます。
終活している時に思い出があってどうしても捨てきれない物に関してはお焚き上げ供養を利用すれば納得のいく終活が出来ます。
思い出を感謝の気持ちで天にお還しすることで物と心の両方の整理が出来るのです。