本家と分家
地方では今でも先祖代々の家と土地を長男が受け継ぐという家の制度があって長男が受け継いだ家を本家と言い、遺産分割などで兄弟などに土地を分け与えてそこに住む所帯を分家もしくは新家と言います。
本家の威厳
地方に於きましては親族の付き合いが年功序列、しきたり優先、格式重視などの習慣が今でも根付いており、本家と分家に関しては、分家は本家より大きいお墓を作ってはいけないとか、本家より大きい家を作ってはいけないなどの暗黙の了解があり、それを守ることでバランスが取れて来たとも言えるのです。
由緒ある家系の場合、本家というものは格式高い家系の正統な継承者という意味合いが強く、伝統を守ってきた証としての家や家宝などを受け継いでいて、社会的にも名家の本家というだけで尊敬されるものです。
分家の立場
分家は本家のように正統な継承者ではないものの、同じ敷地の中或いは近くに住む限りにおいて本家に気を使いつつも独立した家としての尊厳を保つ必要がありますので、本家と分家、そして親族付き合いの中で微妙な立場を維持する必要があるのです。
本家と戒名
本家の若い後継者が長老のお葬式の場に於いて、日頃の寺院に対する反感もあって、戒名のランクを落としたいと檀那寺の住職に申し出たところ「本家だから戒名のランクは落とせない」と説教されたという事例がありました。
今までの長い時代、本家としての威厳を保ってきたのだから、そういう努力をされたご先祖に対して戒名のランクを下げるようなことをしたら面目無いということなのです。
また分家の立場の手前もあるから、本家と分家立場が逆転するようなことはしてはいけないという理論です。
若い人の考え
現代は買い物するにしても、何を選んでも自由な社会のはずなのですから、若い人としてはなるべく安い戒名にした方が葬式代が安く済むから良いだろうという考えるのは当然のことです。
戒名なんて本当は要らないのに、高い戒名料を払う理由が分からないということなのです。
正しい寺院の在り方
こういう時こそ寺院として納得のいく説法をしなければいけないのです。
本家だから戒名のランクを落としてはいけないという理由では納得してもらえないでしょうし、そもそも何故戒名が必要であるのかとか、戒名を落としてはいけない理由を誰にでも分かるように説明しないといけません。
戒名は亡き人の生き様やこれからの道筋、そして仏門に入って迷うことなくあの世の世界に旅立っていくための名前を頂く儀式を伴いますので、死後の世界の供養が自分では出来ない亡き人に対する供物であり、寺院に対する布施もまた故人に功徳を届けるものだと思えば良いのです。
問題は寺院の僧侶が功徳を届ける役割としてふさわしくないと思われていることなのです。
修行など全くせずに遊んでばかり、俗世間の者よりも欲深い僧侶に説教されても響かないのです。
戒名のランクなどは、いつでも変えることが出来ますので、寺院の側もその時々で柔軟に対応する必要があります。