土葬とは
土葬は亡くなった人の遺体を棺桶に入れて土の中に埋め、長い時間をかけて腐敗させて土に還すという葬送の方法です。
土葬の歴史
「餓鬼草紙」より抜粋
土葬は穴を掘って亡き人の遺体を埋めるという方法で、場合によっては埋めた場所の上に石を載せたりしますが、これは動物に荒らされないための方法であり、平安時代の終わりから鎌倉時代の始めに製作されたとされる「餓鬼草紙」を見てみますと大半の死者の遺体は村はずれの特定の場所に放置されていたことが分かります。
場所によっては大きな穴に放り込まれたり、崖から落とされるなどの方法もとられました。
放置された遺体は当然のことながら野犬やカラスなどの動物達に食い荒らされる運命にあるのですが、それが死というものであって逆らうことが出来ないことだと考えられていたようです。
しかしながら囲いをして墓地として整備された場所もあることから、土葬できるか出来ないかは貧富の差であり、お金のある人は墓に埋葬されるけれど、お金の無い人は墓地に放置される、これもまた逆らうことの出来ない運命だったのです。
土葬は理想の自然葬
土葬は私達が特に何もしなくても、自然の中に生存する生き物や微生物が分解してくれるという理想の自然葬であり、死しても次の生命のための糧となることが、地球上の生き物としての宿命であり、あるべき姿なのです。
地球上の植物や動物も皆この法則に従っていて、結果として種が保存されているのです。
土葬は地球上の生き物にとって理想の自然葬なのです。
今でも土葬が行われている所
我が国では100%火葬ではありません、ごく一部ですが長野県の山間部などに土葬が可能な所がありますが、基本的にはそこに在住の住民の方のみが利用出来るのでありますが、それでも土葬を望む人からの問い合わせが絶えないそうです。
イスラム教徒は教義で遺体の土葬を禁じていますので、我が国在住のイスラム教の方が亡くなった場合には大変に困るということになりますので、山梨県甲州市塩山にある曹洞宗の文殊院では、先住職の代からの善意によって、墓地の一角をムスリム霊園として開放しているそうですが、区画の確保が年々困難になっているそうです。
土葬の墓じまい
我が国では昭和の初期頃までは土葬が行われていましたので、誰か亡くなった人が出ると土葬用の穴を掘ることが葬儀の準備の一つになっていました。
土葬のお墓が無いと死後の遺体処理である埋葬が出来ませんので、お墓というものは絶対に必要な時代だったのです。
土葬では1.5~2m位の深さの穴を掘り、寝棺(ねかん)や坐棺(ざかん)と言われる棺桶に入れた遺体を埋葬してその上に土を被せるという方法で、後は時間をかけてゆっくりと土に還っていくのですが、我が国の土壌では大体百年程度経過してもまだ遺骨の一部が残っていることが多く、場合によっては二百年ほど経過しても尚遺骨の一部が残っていることもあります。
墓じまいというものはお墓と遺骨を綺麗に取り除いて更地に戻すことですから、土葬の場合の墓じまいは墓石を取り除き、墓地を掘り返して遺骨が出てきたら収集し、遺骨を取り除いたら埋め戻すという作業になります。
もし遺骨が出て来なかったら土を一握り頂いて、その土を遺骨の代りとします。
後継者が居ないという事での土葬の墓じまいの改葬先としては、樹木葬や合葬墓、散骨が選ばれています。
仏教と土葬
仏教では肉体にこだわることは執着であり、欲望につながることとして、釈迦は出家修行者に対しては死後の肉体の処理に関わることなく、修行に専念するように説いているのです。
仏教では死後の肉体は何ら執着してはいけないものであり、ヒンドゥー教でもガンジス川の岸辺で火葬して残った遺骨は全てガンジス川に流すことからも、一部の聖人を除いて埋葬したり墓を作る習慣が無いのです。
しかし私達の祖先は死後に高い山の上から子孫の者を見守っている、或いはまた同じ家に生まれてくるなどの土着の信仰や、先祖の霊が自然の中に降りてくるなどのアニミズムの考えが仏教と融合した結果として土葬が受け入れられてきたのです。
夜に土葬の墓に行くと幽霊や火の玉が出ると恐れられていたのも、肉体と霊が関りがあると考えられていた証であり、純粋な仏教では到底説明できないような信仰が融合されているのです。