成道とは
成道とは仏教用語で道を完成させること、つまり仏道の悟りを完成して仏になること。
成仏(じょうぶつ)、得仏(とくぶつ)、成正覚(じょうしょうがく)とも言います。
釈迦の成道
釈迦在世当時の宗教家達は皆難行苦行の先に悟りの世界があると説き、修行者は競って難行苦行の修行をしていました。
次々と有名な師を求めて難行苦行を繰り返してもすぐに師のレベルにまで到達してしまう釈迦は、やがてウルヴェーラーの森に入って6年間様々な難行苦行を行い、最後に水と豆類などで何日も断食行を行うと、骨と皮だけになってしまい、あばら骨が浮き上がるほどの極端な栄養失調状態になったことを憂いた村娘スジャータの乳粥の施しを受けた時に難行苦行の無益さを悟ったのです。
35歳になったシッダールタはナイランジャナー川で沐浴した後に村娘のスジャータから乳糜の布施を受けて体力を回復してピッパラ樹の下に坐して瞑想し、ついに悟りを得ることが出来て仏陀になりました。
釈迦はこの時に成道を果たしたのです。
成道会(じょうどうえ)
釈迦が悟りを得て仏になったことを記念して行う法会のことで毎年12月8日に行い、臘八会(ろうはちえ)とも呼ばれ、灌仏会、涅槃会とともに「三仏会」と言って、釈迦の三大法会として重んじられてきました。
臘月は12月の別称であり、臘八とは12月8日のことです。
臘八接心
禅宗では釈迦の成道を記念して旧暦の12月1日から8日朝にかけての7日間、昼夜を通しての不眠不休の座禅の修行を行い、この修行のことを臘八接心(ろうはちせっしん)或いは臘八大接心(ろうはちおおぜっしん)と言います。
この期間には睡眠も結跏趺坐したままで執るという大変な修行です。
成道のためには
悟りを得た釈迦はしばらくの間そこに座ったままで悟りの楽しみを味わい、更に場所を変えて悟りの楽しみを味わい続け、悟りの内容を人に伝えるべきかどうかを考え続けたが、やはり難解すぎて人に伝えることは無理と断念したのです。
釈迦は悟りの内容が難解すぎて人には伝えることが困難な事、そして自分一人だけが悟りの楽を味わうことで良いのかどうかを悩んだ末に梵天勧請によって伝法を決心したという話は有名です。
成道に至る道のりは難解すぎること、そして釈迦は現世のみの修行で成道たのではなくて、永遠に近い輪廻の中で修行を続けてきたことなどの積み重ねがあってようやくたどり着いた道であることを思えば、私達凡人には不可能なことかもしれません。
しかしながら究極の目標が成道であって、たとえ到達することが無理だと分かっていても、長い途中の段階を少しずつでも歩んでいく道筋を示してくれたのが釈迦であり、途中であっても十分に楽しむことが出来るのが仏教なのです。