恵果阿闍梨とは
恵果阿闍梨は不空に師事して金剛頂経の密教を、善無畏の弟子玄超から大日経系と蘇悉地経系の密教を授かった中国人の僧で、伝持の第七祖になります。
恵果阿闍梨の経歴
俗姓は馬氏で、長安の東にある昭応県の出身になります。仏門に入ってからは不空に師事して金剛頂経の密教を、善無畏の弟子玄超から大日経系と蘇悉地経系の密教を授かったという金剛界と胎蔵界の両部の密教の継承者です。
恵果阿闍梨は青龍寺にて三代に渉る皇帝の深い帰依を受けて千人の弟子を抱え、「三朝の国師」と仰がれていました。
遣唐使の船に乗って留学した空海が青龍寺に到着したのは805年6月のことで、自らの死期を悟っていた恵果阿闍梨は空海の来ることを待ち望んでいたかのように灌頂を授け、普通なら10年掛かると言われる大法の伝授をわずか3か月で済ませてその年の12月15日、60歳にて入寂しました。
中国での密教のその後
恵果阿闍梨には弟子が千人居たとされ、その中でも特に優秀な弟子が6人居たのですが、その中でも金剛界と胎蔵界の両部の大法を授けたのは空海と中国僧の義明(ぎみょう)だけでした。
しかし義明は若くして没したので最終的に密教の大法を授かったのは空海一人だったのです。
中国では恵果阿闍梨の入滅後に廃れていき、やがて道教に吸収されてしまいました。
恵果阿闍梨の姿
恵果阿闍梨は八祖として描かれる時には童子を横に立たせた姿で描かれます。
阿闍梨とは
阿闍梨とはサンスクリット語でアーチャーリヤと言い、密教では伝法灌頂を受けた僧のことで、弟子を教え育てることが出来る模範としての僧のことです。
大日如来から直弟子の金剛薩埵に示された真言の法は神々の世界から人間の世界に降りてきて、真言宗の伝持の八祖の中でも龍猛菩薩が最初に法を受け、次に法を受けた龍智菩薩から金剛智三蔵、不空三蔵、善無畏三蔵、一行阿闍梨、恵果阿闍梨、そして弘法大師空海へと伝わったのです。