痴について
「痴」は無智のこと、真実を知らない心、真実を知ろうとしない心で、いい加減な情報や嘘、デマなどの情報に振り回されて正しい判断が出来ない状態のことです。
真実を知ること
「私達は一体、何処から来て何処へ行くのでしょうか、そして今何を成すべきでしょうか」
こういう素朴で基本的な疑問が常に私達の心の中にありながらも
- 考えるだけ無駄
- 分からない
- 知っても仕方ない
- 今の自分に関係ない
などの理由で考えようともしませんし、考えても仕方ないと思っている人が多いのです。
しかし仏教というものは、より良く生きるための智慧であることから、生きるということを何時の時代も真剣に考える宗教なのです。
しかしこのような大きなテーマはすぐに答えが出ることではなくて、一生掛かって答えを導き出すのですが、少なくとも今何を成すべきかという事に関しては「真実を知りなさい」と説いているのです。
真実を知らないと
私達は永遠に近い間の輪廻転生の繰り返しでやっと人間世界に生まれてきたとしたら、それは仏道を実践するチャンスを掴んだということであり、地獄や餓鬼、畜生などの三悪趣でなくて良かったと感謝すべきことなのです。
せっかく人間に生まれてきたのですから、今のうちに魂を向上させておかないと、何も考えずに生きていたら、次々と襲い掛かって来る煩悩にまみれて、下の世界に堕ちていくしかないのです。
釈迦のように難行苦行の果てに悟りを得るということが出来なくても、善い人として生きること、そして魂を磨くことは将来の自分ためにも大切なことなのです。
私達は少なくともまた人間に生まれるか、天界に生まれるかを望んで修行をすれば、必然的にこの世の世界では幸せになることが出来るのです。
開経偈から学ぶ
開経偈(かいきょうげ)とは真言宗の毎日のお勤めである勤行の時に必ず最初に唱える偈文で、とても大切なことが書いてあります。
開経偈の本文
無上甚深微妙法 [むじょうじんじん みみょうほう]
百千万劫難遭遇 [ひゃくせんまんごう なんそうぐう]
我今見聞得受持 [がこんけんもん とくじゅじ]
願解如来真実義 [がんげにょらい しんじつぎ]
開経偈の意味
この上もなく深くすぐれた仏の教えは
永遠の時を経てもありえないほど 出会うことは難しい
私は今その教えを受けて見聞きさせていただくことができました
願わくば仏が説く真の意味を理解させてくださいませ
真実の法は
真実の法に巡り合うという事は本当に困難なことで、巡り合うだけではなくて、それを理解することは更に難しいこと、しかしそれを知ったならば努力はしてみるべきです。
こういう大切なことがお勤めの最初に書いてあるのですから、勤行には仏法が見事に凝縮されているのです。
あなたも実践してみませんか、新たな道が開けてくるかもしれません。