俗世間とは
俗世間とは仏門に入る出世間とは対照的に仏道に縁が無く、煩悩にまみれて暮らしている一般の人達の世界のこと。
俗とは
「俗」とは世の中の欲望に染まった卑しいさまを言います。
「俗っぽい」とは物事や性格などがありふれていて下品な様子を言い、下劣な、低俗な、はしたないという意味合いがあります。
衣食住など日常生活のしきたりや習わし、風習のことを「風俗」と言います。
世間とは
世間とは私達が暮らしているこの世界の事です。
「世」は昔の漢数字の三十(丗)のことで、30年の期間、人の人生の一世代を表し、世の中の人のことです。
「間」は門の扉のすき間のことです。
「世間」とは多くの人が居る空間の事になるのです。
俗世にまみれる、俗世に染まる
俗世にまみれる、俗世に染まるとは、俗世間の煩悩にまみれた生活にどっぷりと浸かってしまって、大衆的な快楽や欲望の虜になり、抜け出すことが出来ない様を言います。
欲望丸出しで海楽ばかりを追い求め、本能のそして欲望の赴くままに行動する様子は、人間というよりは動物に近い姿です。
動物は本能のままに行動しますので、冷静に考えることや、他の幸せを考えたり、他に施したりすることが出来ません。
ある意味欲望のままに生きていくことはとても楽しいことでありますが、自分だけが満足する自己満足の繰り返しでは決して幸せになることはありません。
俗世間から離れる
俗世間にどっぷりと浸かって楽しみ尽くした人はやがて、そういう楽しみでは決して本当の意味での幸せになることが出来ないことに気が付きます。
毎日違う女の人を連れて歩くようなお金持ちの社長は、一見派手で幸せそうで贅沢で、誰からも羨ましがられますが、実はとても寂しがり屋で、決して幸せだと感じたことがなかったりするものです。
お金も地位も名誉も全ての物を手に入れた中国の皇帝が最後に欲しがったものは「不老長寿の薬」でしたが、誰一人として手に入れることは出来ませんでした。
あらゆる物を手に入れたとしても寿命が尽きれば自分の物ではなくなってしまうという現実があるのです。
ふとしたきっかけで山に登って下界を見たら、自分が住んでいる所が如何に狭く、自分の存在が如何に小さいものであるかに気が付くことでしょう。
小さな世界の中で欲望丸出しの人間が必死に動いていることが、山の上から見たらバカバカしくて嫌になることでしょう。
たまには俗世間から離れてみましょう。
私達が拘っていることの価値観から心を開放してあげましょう。
俗世間で生きる秘訣
欲望の誘惑が多い俗世間では、欲望に溺れて堕落してしまう人が後を絶ちません。
適度な欲望は人間の現世での幸せをもたらしてくれますので、仏教では小欲知足を説いているのです。
釈迦が悟りを得ることが出来たのは、欲望が苦しみの原因になることを見抜き、苦しみの無い世界を目指したからなのです。
欲望が悟りの原動力になったのです。
私達人間の世界は欲望だらけですが、その欲望も全て私達の心の中から出てきたもので、作り出されたものということを理解すれば良いのです。
欲望に振り回されることなく少しの欲望で満足することを知り、しかもその欲望でさえ心の中から出てきた幻影であることを覚ることが俗世間で生きていくための秘訣なのです。
欲望に溺れてしまったら這い上がることが困難です。
かと言って欲望を全部捨てることも無理なこと。
欲望をコントロールすることは大切な修行なのです。
俗世間での欲望は堕落する原因になりますが、上手く使えば人間として幸せになるための重要な道具になるのです。