所有欲とは
所有欲とはお金や物、地位、名誉などを持ちたいという欲望のことで、人間が持つ基本的な欲望の一つであり、所有することによって満足感や優越感が得られます。
所有する事
私達が生活している地球上では様々な動物などの生き物も存在していますが、動物達は基本的に自分の持ち物を持ちません。
鳥が子育てするための木の巣穴にしても空いている巣穴を使い、卵を産んで子育てが終わり、雛が旅立てば次の鳥がまた使いますし、時としては他の鳥や動物に略奪されたりすることもありますので、巣は自分の持ち物ではありません。
私達人間は他の動物達が持たない高度な経済社会の中で生活していますので、お金さえ持っていれば生活に必要な物を買うことが出来ますし、場合によっては世界中の物を買い漁ることも出来るのです。
私達は所有することによって満足感が得られますが、この満足感とは一種の快感であり、どうしても欲しい物が手に入らない時には苦痛になりますが、もし手に入ったとしたら幸せな気持ちになって、しばらくは快感に浸ることが出来るのです。
求不得苦
釈迦は私達人間が無限に六道の世界と言われる地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天界を輪廻転生して生まれ変わり死に変わりする間は常に「苦しみ」が存在して決して逃れることが出来ないと説きますした。
仏教では人の苦しみは「四苦八苦」と言って、四苦の時には
の苦しみがあって、八苦になれば「生老病死」の他に
- 「愛別離苦」…愛するものと別れてしまうこと
- 「怨憎会苦」…嫌いな人と会わなければいけないこと
- 「求不得苦」…求めたものが得られないこと
- 「五蘊盛苦」…人間の体の感覚や心から出てくる五つの作用による苦しみ
が加わります。
求不得苦は求めたものが手に入らないという苦しみで、この苦しみは仮に一時的に満足したとしても、また次々と襲い掛かってきて、永遠に満足することが出来ないのです。
所有する幸せ
しかし普通に生活していたら貧乏なのは困る訳で、食べ物も満足に買えない、電気代やガス代が払えない状態では、この先どうしたら良いのか不安な日々を送るばかりで、場合によっては路頭に迷うことも覚悟しなければいけません。
そういう意味ではお金を持っていないということは不幸せなことです。
高級な住宅に住んで別荘を幾つも持ち、高級車を乗り回して高価な物を次々と買い、海外旅行にもよく出かけ、家ではお手伝いさんが家事をしてくれるような人が幸せに見えて、羨ましくて仕方ありません。
人間なら誰しも少しでも良い生活をしたいという欲望が生まれながらに備わっていますので、良い生活をするには良い学校を出て良い就職をするという競争社会の中で勝ち抜いていく必要があるのです。
古今東西、勝者は豪華な宮殿に住んで多数の侍者を従えて思いのままに使い、美女を侍らせ高価な酒に酔い、歌舞音曲を楽しむのが世の常なのです。
所有するという事はそれだけ不思議な魔力を持っているということです。
所有してみたら
所有するという事で所有欲が満たされますが、高価な物で得難いものであればあるほどその所有欲は刺激的になり、やがてその刺激に麻痺してしまい、普通の所有では満足できなくなってきます。
やがてはその所有欲の行き先は、人の物を強引に得ようとしたり、非合法的な所有などのいびつな所有を求めるようになるのです。
お金や物を持つにしても少ない内は誰からも狙われるようなことはありませんが、持つお金も多額になって、高級品を持てば持つほど泥棒や詐欺、強盗などに狙われやすくなってしまいます。
色んな人が親しげに近付いてきますが、皆下心のある人ばかりで、本当に信頼できる人が居ないことに気が付きます。
所有することにあこがれて人並みならぬ努力を重ね、所有する度に喜びを感じ、いざ多くの物を所有してみた結果、それらのことを必死で守ろうとしている自分に気が付くのです。
盗られはしないだろうか、騙されはしないだろうか、という思いで不安の日々を送るようになるのです。
所有することで得られる幸せは一時的なものであり、逆に所有することによって不安が増えていくばかりです。
ようやくの思いで手に入れた高級外車も並べておくだけで莫大な管理費が掛かり、高級クルーザーに至っては保管や維持管理の手間ばかりで使うことがほとんどなく、別荘にしても管理しなければどんどん傷むので、所有することによって面倒なことばかりが増えていくのです。
魚釣りがしたくて念願のマイボートを買った人が最初の頃は毎日釣りに出かけ、船のメンテナンスも定期的に行っていても、やがては病気や怪我、多忙などの理由でしばらく行けなくなり、船の管理が大変な重荷になって手放すという方もたくさん居られます。
手に入れたら素晴らしい日々がやってくると夢を描いている時が喜びであり、いざ手に入れてしまってその夢が現実になった瞬間に、夢は幻となって消え去ってしまうのです。
所有する苦しみ
世の中に一つしかないような珍しい物を苦労して手に入れたとしたら、嬉しい気持ちで誰だって飛び上がって喜ぶことでしょう。
誰かに見てもらいたい、いいねと言って欲しい、ウンチクを聞いて欲しい、手に入れた経緯を聞いて欲しい、手に入れた自分を褒めて欲しい、などのことが頭に浮かぶものです。
しかし多くの人に見せれば見せる程、盗られたらどうしよう、妬まれて危害を加えられたらどうしよう、火災に遭ったらどうしよう、などの余計な心配をしなければいけませんし、所有した瞬間から最上の状態に保つ手間が掛かるようになってくるものです。
つまり所有することで新たな苦しみが生まれるだけなのです。
小欲知足のすすめ
仏教では出家者に対しては個人的な所有を認めることが無く、在家者に対しては自分が所有することよりも施すことの大切さを説きます。
そして自分自身の欲望に対しては相手を傷つけること無く、出来るだけ少ない欲望で満足すること、つまり小欲知足を説いているのです。
所有することに意義を持つのではなくて、感謝の気持ちを持って最小限の所有にして、苦しんだり困っている人に対しては施しなさいよと説くのです。
家族の中では自分一人だけが所有するのではなくて、皆で所有することが大切です。
家族は自分一人だけ幸せになれば良いのではなくて、皆で幸せになることが一人一人の幸せなのです。
平成の中頃までの時代は人口が増え、経済が発展し、物が豊かになれば心が豊かになるとされ、皆が一生懸命に働いてきたのですが、今は人口が減り、国力も経済力も落ちていくばかりです。
たとえお金や物が少なくとも十分に満足して尚且つ、困った人に対しては笑顔で施しが出来るようにしていきたいものです。
毘沙門天と所有
毘沙門天は天の世界に居ながらも妃の吉祥天と子の善膩師童子を伴って家族の形態を取られていることが大きな特徴で、そもそも家族を持っていることが所有であって、家族を持てば維持することと守ることが必要になって余計なことが増えるばかりと思うのですが、何故なのでしょうか。
それは私達人間に対して家族の幸せの姿を身をもって示すためであり、天界での幸せが私達人間の世界でも実現出来ることを説いているからなのです。
毘沙門天の所有は自分一人だけの所有ではなくて、相手を喜ばせるための所有です。
毘沙門天が右の手に持つ如意棒は宝物が出てくるそうですが、自分だけで独り占めしたり、自分一人だけ満足するような使い方が出来ないようになっています。
自分だけが良ければそれで良いという人は天の世界に行くことが出来ませんし、天の世界からの助けもありませんが、相手に施したり尽くしたりする人に対しては力を与えて下さいます。
人が幸せになるための所有を目指してみては如何ですか。