入定とは
入定とは弘法大師空海が座禅に入ったまま座り続けているという真言宗に伝わる信仰のこと。
入定信仰
弘法大師空海は真言宗の開祖です、今では弘法大師として民衆の救済のために高野山奥の院で座禅を続けていると信仰されており、世界遺産となった高野山奥の院には世界中から多くの人々が訪れています。
835年3月には弟子たちを呼び集め、「天界(兜率天/とそつてん)にいき,弥勒菩薩の御前に侍(じ)し56億余年の後に慈尊(弥勒菩薩の敬称)のお供をしてこの世に生まれよう」と語ったと伝えられています。
自らは禅定を続けて後のことを弟子に任せると伝えた後、御歳62にて3月21日には高野山の住坊(現在の龍光院・中院)にて入定して即身成仏されました。
その後も奥の院で禅定を続けているとして、弘法大師信仰は現代に受け継がれています。
同行二人
弘法大師は「お大師様」と呼ばれて親しまれ、弘法大師ゆかりの四国八十八箇所霊場を巡る時には「同行二人」と言って、お大師様が常に傍を歩いてくれて一緒に修行をしてくれるという信仰があるのです。
弘法大師入定の由来
空海入場の後90年あまりの時を経て、延喜9年(921)醍醐天皇の枕元に立ち、長らく高野の岩陰にて禅定を続けていましたが、衣が痛んでしまったので、新しい衣を頂戴したいとの夢を見た天皇はすぐに東寺(教王護国寺)の長者である観賢(かんげん)僧正を呼んで新しい衣を下賜され、更に「弘法大師」の大師号を下賜されました。
当時の高野山は東寺の管理下に置かれていましたので、東寺の長者である観賢僧正に委ねられたのです。
早速新しい衣を託された観賢は弟子の淳祐(じゅんゆう)と共に高野山奥の院の空海の御廟に入ったところ、「まるで大師(空海)が生きているかのような姿があった」との言葉を残しており、弘法大師が今でもそのような姿で禅定しているということの伝承に繋がっています。
弘法大師の伸びていた髪と髭を整えて、新しい衣に取り換えて供養が終わると弘法大師は観賢僧正らを無明橋までお見送りになられたそうです。
この衣替えを始めとして「御衣替え」と呼ばれる儀式は今なお続けられていて、現在は旧暦の3月21日、弘法大師の旧正御影供に行われて、またその御衣は「御衣切れ」として小さく切り分けて参拝の方に授与されているのです。
生身供
高野山では1200年間に亘って一度も欠かしたことの無い儀式が毎日続けられていて、それは弘法大師に1日2回のお食事の供えを届ける儀式の「生身供」(しょうじんぐ)です。
「亡くなったお大師様に食事をお供えすること」ではなくて「生きているお大師様に食事をお届けする」からこそお届けする「生身供」なのです。
弘法大師が入定されて今も瞑想を続けて居られるからこそ毎日食事を届けるのであって「お大師様は生きて救済活動を続けて居られる」という信仰が続いている証なのです。