正直者が馬鹿を見るとは
ずる賢い人が上手く世の中を渡って利益を得ることが多いのに対して正直で真面目に生きている人は損をすることが多いという喩え。
ずる賢い人
会社の組織の中ではお互いに足の引っ張り合いで、自分が昇格していくためには相手を蹴落とすばかりの醜い争いが日常茶飯事で、罠を仕掛けたり騙したりの悪事を働きながらも上司にすり寄るずる賢い人が上に上がっていき、嘘を付けない、人をダマせない、正直だけが取り柄の人は何時まで経っても平社員という皮肉な世界です。
あの人の会社、高い塀を作って、塀の中では法令違反の怪しい仕事をしているらしいけど、実は凄い豪邸に住んでいて、お金も結構持っているみたい。
会社の同僚の飲み会が上司に媚びるばかりの退屈な飲み会だったので、そういった人間関係が嫌で、関心が無いからと正直に言って誘いを断ったら壮絶ないじめに遭うようになり、会社に居られなくなってしまった。
果たして世渡り上手なずる賢い人が得をして、正直者は損をするのでしょうか。
俗世間とは
俗世間とは出家した人の世界である出世間に対して、一般の人達が普通に暮らしているこの世の人間世界の事です。
俗とはありふれた、ありきたりの、という意味の他にいやしい、下品の意味がありますので、俗にまみれた人とは、欲望にどっぷり浸かった欲望丸出しの人のことです。
俗世間とは欲望に満ちた世界であり、出世間とは欲望から離れた世界になります。
俗世間で人がそれぞれの欲望を満たすためには綺麗ごとを言っていてもダメですから、お互いに騙し合い、足を引っ張り合いながらの競争世界が準備されているのです。
私達が生きている経済社会は競争社会であることが大原則であり、競争に勝つために時には嘘をつくことも仕方なのです。
こういった世界が嫌になった人が俗世間から離れることを出世間と言うのです。
仏教と正直
仏教では「方正質直」(ほうしょうしつじき)の心を持つことを説きますが、「方正」は正しくしっかりした心のことで、「質直」は素直な心のことです。
「方正質直」が省略されて「正直」になったのですが、正しい心と素直な心で正直になるのです。
正しい心と素直な心で人と接していれば、その心に共感した人が集まってきますので、そういう人達は騙したりする必要が無く、安心してお付き合いが出来ます。
釈迦が俗世間にあっても俗世間の穢れを受けることが無かったのは、徹底した正しい心と素直な心で人と接していたからなのです。
ここで大切な事は正しい心と素直な心を持ち続けることであり、軽蔑されても非難を浴びても動じないことなのです。
どんなことがあってもただひたすらに、くじけることなく続けるのです。
そうすれば少しずつではありますが、それを分かってくれる人が必ず集まってくるのです。
俗世間は享楽の場でもありますが、修行の場でもあります。
欲望と言う誘惑がたくさんありますが、正しい心と素直な心を持ち続けて下さい。
こういう単純なことから平和が始まってくるのです。