開運招福とは
開運招福とは運を開いて幸せを招き入れることで、自己啓発、神仏に頼む、縁起の良い日時や方角を選ぶ、縁起の良い物品を置いたり飾ったりするなどの方法があります。
開運と招福
何をやっても失敗ばかりでうまくいかないという人が居れば、面白いように順調に物事が進むという人も居るのですが、この違いは何によるものでしょうか。
私達が何かの課題に取り組んでいる時に、充実感を感じながら前向きに進めていくことが出来る人は何をやってもうまくいく人です。
その反面、絶望感を感じながら何も出来ず動きが止まってしまっている人は何をやっても失敗してしまいます。
その違いは運気の「気」であり、エネルギーのようなものです。
活気に満ちている人は体の中からプラスのエネルギーが満ち溢れて、他の人にも良い影響を及ぼし、多くの人が集まってきますが、活気のない人はマイナスのエネルギーになっていますので、人と接することを嫌い、孤独で居ることが多くなります。
開運招福と神仏
開運招福が私達の眼には見えない「気」に影響されるとしたら、同じく私達の眼には見えませんが神仏の世界からの守護があるかどうかで開運の度合いが違ってくるのです。
そして神と言っても七福神のように人に福を授ける神も居れば貧乏神、疫病神、死神のように人の不幸を喜ぶ神もいるのですから、私達と神々との関りは私達の幸不幸を左右するほどの大きな意味を持ちます。
しかしながら神々との関りには私たち自身の心の持ち方が大いに関係していて、たとえば神仏の誓願と私達の願いが合致していれば神仏からの加護が得やすいので願いが叶い易く、神仏の誓願に対して私達の願いがかけ離れていれば願いが叶わないのです。
神仏は私達に対して私達の行動を後押ししてくれたり、災難から守ってくれたりなど、自分一人では到底出来ないような力を授けて下さるのです。
誓願とは神仏が衆生を救うために立てた願いのことで、衆生済度と言って罪深い衆生を仏の世界に救い上げることが神仏の仕事であり、衆生を救い上げるための方便として私達の願いを叶えたりもしますが、私達は仏の世界の奥深さに気付いて神仏に感謝し、自らの行いを正すことで神仏との良い関係を築くことが出来るのです。
開運グッズで開運招福
パワーストーン、招き猫、開運印鑑、開運表札、開運財布、開運ネックレスなど、世の中には開運グッズと言われるもので溢れていますが、何となく良さそうだからと買ってみても、無いよりはましというレベルの物になってしまいます。
開運グッズは運を開くためのきっかけであって、上手く使えば本当に福が来るのですから、自分でも「これはすごい!」という物を置いてみると、物事の流れが変わってくることがあるのです。
強い信念や思いというものは、実際の物事を変えていく力があるのですから、どうせなら思い切り開運グッズの効能を信じてみて、物事がうまく進んだり、良いことが起こるようになれば安い買い物です。
しかし何も変わらなかったり、却って物事が悪い方向に進むのなら、早めに諦めて縁を切ることです。
自己啓発で開運招福
自己啓発とは自らの意思による行動を起こすことにより、人としてより高いレベルに引き上げることです。
自分自身に暗示をかけたり、何時もの行動に変化を付けたり新しい行動を起こすことによって新たな能力を身に付ければ、今まで出来なかったことが出来るようになり、運が開けて福が舞い込むのです。
宗教は自己啓発にとても効果があり、仏教での修行は真実への探求の道でもありますから、全く知らなかった新たな世界が見えてくるもので御座います。
仏教の修行は自己啓発になり、真の意味での幸せが見えてきたら、開運招福への道標となります。
毘沙門天と開運招福
毘沙門天は妃である吉祥天と、子の善膩師童子を伴った家族の神であり、常に私達の世界の近くに居られます。
毘沙門天には天の世界での誓願がありますが、その誓願とは
これらのことを願っておられるのですから、これらの願いの意味を理解し、自分の願い事として実践することで毘沙門天の加護が得られるのです。
家庭の中での開運招福の秘訣は相手の幸せを思い実践する利他行の実践と、七福神の究極の教えである「笑う門には福来る」の実践です。
笑い声の溢れる家には福の神がやって来て幸せにしてくれるのです。