誓願とは
誓願とは仏菩薩が衆生を救うために立てた誓いを表す仏教用語です。
衆生の誓願
私達が神仏に対して誓いを立ててその成就を願うことを願掛けとも言いますが、神仏に願い事を叶えて貰うためには自分も努力する必要があり、どうしても叶えてもらいたい願いの時には、好きな物を我慢したり毎日寺社に参拝するなどの修行を伴います。
また自分自身の願いに対して自分に果たした誓いもあり、たとえば大学受験で希望大学に合格するために
- 1日5時間以上勉強する
- 勉強中は間食しない
- テレビを見ない
などの誓いも誓願になります。
良い結果を出そうとすれば、自らの努力が必要になるのです。
仏菩薩の誓願
仏の世界の悟りには低い段階から始まって最高の悟りまでには幾つもの段階があり、悟りの段階に応じて天部・明王・菩薩・如来などの世界がある中で仏たちは、最高位の如来を目指して修行しているのです。
仏教に於いては悟りの境地である如来に至る段階として52の境地に分けられていて、菩薩五十二位と呼ばれています。
菩薩は仏道を志した者が少しずつ魂のレベルを上げていき、悟りを目指す修行の段階を示しています。
十信から始まって、最後の妙覚を目指します。
- 1~10位…十信(じゅうしん)…信仰を深めていく段階
- 11~20位…十住(じゅうじゅう)…心を安住の領域に持って行く
- 21~30位…十行(じゅうぎょう)…利他行に励む
- 31~40位…十廻向(じゅうえこう)…自利、利他行の功徳を一切衆生に廻向する
- 41~50位…十地(じゅうじ)…仏の智慧を得てあらゆる衆生を利益する
- 51位…等覚(とうがく)…悟りの状態に等しい
- 52位…妙覚(みょうがく)…最高の悟りの状態
菩薩が仏道を目指してから52の段階があって一つ一つ上がっていくのですが、菩薩の修行は気の遠くなるような長い時間をかけて行っていますので、仏になるという事は簡単なことでは無いのです。
「仏説無量寿経」には阿弥陀如来の前身である法蔵菩薩が如来になるために立てた誓願が説かれていて、四十八願と言い、その中の十八願は浄土宗の念仏の根拠となっています。
菩薩は自らに対して厳しい誓いを立てて修行をし、その誓いを達成することで仏になることが出来るのです。
誓いを立てよう
私達は日常の生活の中で様々な目標の達成のために誓いを立てて努力しているのですが、途中で挫折したり投げ出したりすることが多く、その都度新たな目標に変わってしまいます。
しかしながら仏法に於ける菩薩の請願は自ら立てたものであるにも関わらず、決して諦めてはいけない厳しい誓いであるために、何があっても全くブレない強い精神力が必要なのです。
仏教の世界で仏になることは実に困難なことなのですが、菩薩たちの苦労に比べたら私達の誓いなど些細なことであり、小さなことで挫折してすぐに諦めてしまうようでは、仏に近付くことすら出来ません。
小さな誓いは必ず成就すること、そして一生をかけてやり抜くような誓いを立てて、何があっても挫折しない強い精神力を養うことで、少しだけ仏に近付くことが出来るのです。
私達にとって釈迦の悟りの領域に達することは無理でも、私達が生まれてきた理由の一つである魂の向上のためには、仏の世界に少しでも近づくこと、そして人として幸せになることが大切なのです。