私が正しい、あなたが悪い

「私が正しい、あなたが悪い」のイラスト

今の世の中、人と人、国と国の間に起こった問題が、お互いの力関係だけで「私が正しい、あなたが悪い」という事になっていると思いませんか?

力の強い者と弱い者

喧嘩した時

人が二人いて議論をしている時に、お互いの考え方が違うという事はよくあることで、「正しい」と「正しくない」(間違っている)の言い争いになることがあります。

力の強い者と弱い者との間で問題が起こった時に、暴力による喧嘩に発展し、力の強い者が正しくて力の弱い者が悪いということになりがちです。

家庭の中での力関係

何をしても楽しくない

家庭の中で夫の暴力が怖くて夫の言いなりになったり抵抗出来ずに我慢し続ける妻は、家庭内のあらゆることに対して夫の「私が正しい、お前が悪い」という決まりに従わなければいけません。

妻は夫の考えが間違っていると思っていても夫の暴力が怖くて反論することが出来ず、只ひたすらに夫に従うしかありません。

こういった現実は過去にお互いの正しい、正しくないで喧嘩したことが何回もあって、その都度夫の激しい暴力で傷つけられ、暴力が怖いあまり抵抗せずに我慢していた積み重ねによるのです。

このような積み重ねによって夜眠れない、食欲が無い、胃が痛いなどの身体の症状と共に、夫を避ける、夫の傍に居ることが出来ないなどの精神的な病気になってしまいます。

このような関係が長く続きますと、家に閉じこもることが多くなり、生きているのが辛くて死にたいと思うようになるのです。

国と国との力関係

この世の地獄

強い国が弱い国を滅ぼして従属させるということは今から2500年以上前の仏教開祖の釈迦の時代でも行われていたことで、古の時代から世界中で繰り返されてきたことです。

弱い国は強い国に戦いで負けた結果として吸収されるのが当たり前で、まともに戦っても勝ち目のない国は不意打ちを仕掛けたり、強盗、誘拐、略奪などのあらゆる手段を使ってでも生き残ろうとしましたが、小さい国の国民は大国に何時襲われるか分からないという恐怖と戦っていたのです。

釈迦は本名をガウタマ・シッダールタと言い、コーサラ国の属国であるシャーキヤ国の国王シュッドーダナを父とし、隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘マーヤーを母として生まれた王子であり、将来の国王として期待されていました。

釈迦の幼少期はある程度の平和な時代が続いていたのですが、諸行無常、つまり何時までも永遠に続くものは何一つないということに気が付いて自らの国もやがては必ず亡びるという真実が見えた瞬間に、自らが王子であることの意味を失ったのです。

普通でしたら戦いに強くなって生き残るための術を身に付けて強い国にすることが王子としての務めとされるのですが、釈迦はそういう道を選ぶことはありませんでした。

釈迦が成道して仏教が世界中に広がっていったにも関わらず国同士の争いが絶えないのは、未だ人間世界欲望に支配された世界であり、自分さえ良ければそれで良いという考えばかりで、自らを強くすることばかりに夢中になり、他を思いやる心を忘れてしまっているからです。

プライドについて

自惚れのイラスト

強い者は自分に従う者がたくさん居ることで優越感を味わい、やがてそれはプライドとなって執着し、自分に従う者を増やそうとします。

自分に従わない者が居ると暴力を使ってでも従わせようとし、自分の考えを間違いだと指摘する人が居たら激しく攻撃する正体がプライドであり、プライドを傷つけられることを極端に嫌います。

プライドを捨てること

写真を捨てるイラスト

プライドは自己満足、自分一人だけが満足するだけのものですから、この世では何の役にも立ちませんし、死後の世界に持っていけるものでもありません。

プライドなんて思い切って全部捨ててしまえば良いのですが、捨ててしまえば人から馬鹿にされる、自分に従っている人が自分から離れていくと思えば中々プライドは捨てられません。

しかしプライドというものは自分の心の中にあるものですから、こだわることを止めてしまえば良いだけのことで、夫婦間で口論になっても決して自分の意見を押し付けることなく、相手の意見を素直に聞けばよいだけの簡単な事なのです。

自分が正しい、相手が悪いということは、大宇宙真理と照らし合わせれば、本当はどうでも良いことであり、無理に自分の意見を押し付けても何のにもならないことに気付くべきです。

人としての幸せという観点からは細かいことなどどうでも良いのであって、人と人とが何かをしようという時に考え方や意見が違うのは当たり前なのであり、必ずしも同じである必要は無いのです。

陰陽和合の毘沙門天

家族神のイラスト

毘沙門天は鎧兜に身を包んで外敵から家族を護り、妃の吉祥天と子の善膩師童子と共に家族神として家庭を護る神です。

毘沙門天は強大な力を持ちながらもその力を外敵から家族を護ることに使い、決して家族の者を服従させることに使うことはありません。

妃の吉祥天は福徳と持ち前の笑顔で家族を幸せにし、子の善膩師童子は学びにいそしみ家庭を明るくします。

毘沙門天は「決して自分が正しい、お前が悪い」と言うこと無く、善いこと、正しいことを称賛するだけです。

善いこと、正しいことを称賛するだけをしていれば良いのです。

今の世の中悪事ばかりが目に付いて、多くの見物人がヤジを飛ばすばかりですが、ヤジを飛ばしていても世の中が良くなることはありません。

良い知らせが少ないご時世ですが、それでも善いこと、正しいことを称賛できるような心のゆとりを持っていたいものです。