無魔成満とは
無魔成満(むまじょうまん)とは魔物の妨げが無く修行や法要、願いなどが無事に成就することで、仏教用語の四字熟語です。
無魔について
無魔とは仏道の修行の妨げとなる心の中から出てくる魔物としての煩悩や外的な誘惑や障害が無いことです。
心の中の魔物
私達の心の中には百八の煩悩があるとされ、厳しい仏道の修行をしていますと「楽をしたい」「遊びたい」「さぼりたい」「おいしいものを食べたい」「お酒が飲みたい」などの煩悩が次々と湧いてきます。
こういった煩悩の正体が心の中に棲んでいる魔物で、人の心を汚し、人間を堕落させるのが仕事なので、仏門に入る、仏道を精進するようなことが大嫌いであり、何としてでも阻止しようとします。
煩悩は人間の本能でもあり、勝手に湧いてきて、満足することにより消え去りますが、何時の間にかまた勝手に湧いてきますので、満足しては消えを繰り返します。
在家の人にとっての煩悩は生きる楽しみ、生き甲斐であり、趣味や娯楽にもつながることで、上手くコントロールすることが幸せになる秘訣です。
しかし煩悩に流されてばかりいますと、人間が堕落してしまうので、仏道では五戒や十善戒によって煩悩をコントロールすることを説くのです。
出家者にとっての煩悩は成道を邪魔する存在であり、いかに克服するかが修行の大きな課題となります。
外的な障害
何かをしようと計画した時に天災や災難が起こって出来なくなるようなことがあります。
寺院で法要を計画していたが出来なくなった外的要因としては
- 火事で御堂が燃えてしまって法要などが一切出来なくなった
- 地震で御堂が全壊した
- 台風で崖が崩れて秋祭りが出来なくなった
- 御堂を建替えしようとお金を集めたけれど、上手く集まらなかった
などがあり、災難は避けることが出来ないが故に無事を祈って無魔成満を祈願します。
修行を邪魔する外的な要因としては
- 何処からか美味しい匂いがしてきた
- 虫が体の周りをまといつく
- 外で急にうるさい工事が始まった
- 風邪をひいて熱がある
などがあり、修行に集中することが出来なくなります。
成満とは
成満とは物事が完成することで、修行が完全に達成すること、願いが叶うことを意味する仏教用語です。
容器に水などが満たされた状態で、欠けたり不足した物が無い最終的な姿を成満と言うのです。
仏道に於ける最終的な成満は悟りですが、それに至るまでの様々な修行の一つ一つを成満していくことで悟りへと近づいていくのです。
無魔成満の使い方
寺院で法要の願文では法要の無事を願い、願文の最後の方に「無魔成満ならしめ給え」と唱えます。
法要や大祭などが無事に済んだ時の報告に「秋の大祭無魔成満致しました」
四度加行が無事に済んだ時には「伝法灌頂無魔成満致しました」
などの使い方をします。
やすらか庵では5月8日のお焚き上げ供養無魔成満致しました。
無魔成満は仏教用語であり、在家の方の修行である写経の願い事に書いて構いません。
例えば毎日一枚ずつ書く写経を百日間続けようと発心した時の最初の日に書きましょう。