古い仏像や大きな仏像

大きな仏像や古い仏像

仏像には寺院用に作られた物と個人用に作られた物とがあり、寺院用に作られた仏像は仏法興隆の大切な使命を持ち、多くの人に礼拝され続けながら寺院と民衆を護持します。

個人用に作られた仏像でも一般の流通品とは違って特別な目的で作られた物があります。

これらの仏像は寺宝として或いは家宝として伝えられなければいけないのですが、何らかの理由で流出した場合には、元の場所に戻すか、誰かが礼拝を続けることで仏像としての使命が活かされるのです。

使命のある仏像は、寺院に寄贈と言う方法もあります。

仏像の由来

波切不動明王

末期癌が分かった独り者の親友が、先祖代々の家宝と言われる仏像を、どうか私の代わりに持ち続けて下さい、と言われて預かっていたのだが、友人が亡くなってしまったので、仏像をどうしたら良いか分からない…

故郷の両親が共に亡くなり、家を壊すのだが、信仰心の篤い父親が訳あって入手して毎日拝んでいた仏像をどうしたら良いか分からない…

庭に由来の良く分からない石仏が置いてあるが、マンションに引っ越しするのに持って行けないので、この際に何とかしたい…

などでどうしたら良いか分からない時には寺院に相談するか、やすらか庵の無料相談をご利用下さいませ。

無料相談電話043-228-1480

仏像としての使命

大日如来

仏像は彫刻刀やナタなどで彫った仏の姿を表す像で、専門の職業を仏師と言います。

仏像は悟りの段階に応じて如来菩薩明王などに区分され、仏壇の中には仏教の宗派を開いた祖師を始めとして様々な仏像がお祀りされています。

仏壇の中での仏像は宗派によってそれぞれの決まりがありますが、日々の礼拝の対象としての中心的な存在であり、仏に護られての先祖の位牌があり、先祖に護られる私達が居るのです。

また神仏の信仰のお陰で不治の病が治った、特別な力を頂いたなどの理由で作られた仏像は特に家宝として大切にされています。

仏像は仏を人格化した姿であると共に作られた時に開眼供養されていますので、仏としての性格を持ち、仏法を説き、私達の間違いを正しい方向へと導いてくださる役目を持っているのです。

仏像としての使命は一人でも多くの方が仏法に目覚めることであり、置かれているだけではなくて、人が関わり続けることが大切なことです。

仏像との御縁

吉祥天の写真

仏像との出会いはまさに御縁であり、一生御縁が無い人も居れば、いろんな仏像との御縁があった結果としての良き御縁であったり、人によって様々です。

御縁は頂くものであり、求めてばかりいても来なかったりするもので、案外後になってから分かるようなものであります。

仏様がいつも護って下さっている、何となく近くに居られるようだが、もっと近くに居て欲しい、自分を正しい方向に導いて欲しい、と思えるような仏と出会えればとても素敵な事でございます。

仏像の処分

金剛力士-阿形-待て-写真素材

そんな仏像でも後継者が居ないから誰にも渡せない、売るようなことをすれば罰が当たる、とお思いなら寺院に寄贈するか、本当に大切にしてくれる方か真剣に拝んで下さる方に差し上げるという方法が仏像としては幸せな事です。

お焚き上げ供養と言う選択肢は時と場合によって使い分けしなければいけません。

家庭用に作られた誰もが普通に買える仏像は一つの家に行って礼拝の対象になればそれで機能を果たすことが出来るので、不要になったらお焚き上げ供養しても構いません。

しかしこの仏像が生まれて来た目的が尋常ではないとか、何としてでも残さなければいけないという仏像も存在します。

そういう時には必ずご相談くださいませ。

少なくとも仏像が本来与えられた役割を果たすことなく処分するようなことをすれば、とても残念なことでございます。

拝み続けないといけない仏像もある

毘沙門天祈願

時と場合によっては仏像の使命が最初から特別な使命を帯びていることもありますが、普通に見た感じでは分かるようなことはありません。

どうしても拝み続けなければいけない仏像とは、寺院などで民衆の救済のために建立された仏像のことです。

救済と言う大きな目的を持っていますので、処分するようなことをしてしまいますと、それは大いなる損失です。

困難の時代にあっても、これだけは守っていかないといけないと、命がけで受け継がれてきた仏像もあります。

場合によっては先祖代々の悪事や怨念を見てきた仏像もあるのです。

釈迦は偶像崇拝を禁じましたが、それは偶像ばかり崇拝することを禁じているのであって、仏法を興隆するための方便として心のステージを上昇させるための分かりやすい存在は在家の者にとってはもちろんの事、出家者修行のためにも必要な存在なのです。