天の世界とは

心の中にある天界

私達が生まれ変わり死に変わりを繰り返しているとされる地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天界の六道の中でも最高位にある天界は苦しみのほとんどない、穏やかで温かい平和な世界です。

浄土と天界の違い

天界と浄土はどちらも素晴らしい世界ですが、大きな違いがあります。

天界について

天界輪廻転生する六道の最高位であり、天のはるか上にあって天国や浄土に近い世界で、楽を享受できる世界です。

七珍万宝が満ちていて宝石で飾られた宮殿があり、あらゆる楽を享受出来るのですが、必ず寿命があり、この世界から去る時が来て、その時には死にゆく者の相が出てきて何もかもがしぼんでしまいます。

苦しみと言えばただ一つ、天界から去る時の苦しみなのですが、運命なので誰も助けることが出来ないのです。

そして楽を受けてばかりいますとやがて寿命が尽きた時に低い世界に転生することになってしまうのです。

「寿命があること」と「低い世界に転生するかもしれない事」が天界の特徴です。

しかし毘沙門天のように特別な使命を持った天は民衆の救済という既定の使命を持っているために天界の番人としての役割がありますので、堕ちるようなことがありません。

浄土について

浄土は周りの全てが美しく清らかな世界であり、一度行ったら堕ちることがありません。

六道の輪廻転生の世界から脱出した者しか行けない永遠に平和な世界です。

阿弥陀如来が居られる西方の極楽浄土、薬師如来が居られる東方の瑠璃光浄土などの多くの浄土が存在します。

浄土に行くためには悟りを得て如来になることが必要で、自ら修行して仏になる方法と、如来に救ってもらうという方法があります。

「仏説無量寿経」には阿弥陀如来がまだ菩薩だった時に立てた48の請願があって、「第十八念仏往生の願」には「私が仏になる時、全ての人々が心から信じて、私の国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることが出来ないようなら、私は決して悟りを開きません 。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。」とあり、浄土教では阿弥陀如来が悟りを開いている以上、全ての人がもう既に救われていると説いているのです。

楽ばかりの世界はいずれ飽きてしまいそうですが、常に法を聞いて諸仏を供養し、民衆を救うという役割があるので、飽きるような世界ではありません。

しかしながら浄土というものは全く争いの無い世界であり、欲望や煩悩の無い悟りの世界ですから、まだ自分の考えを持ち続け、死ぬまで欲望に執着した者が行く世界ではありません。

浄土教では全てを阿弥陀如来にお任せすることで浄土に行くことが出来ると説くのですが、お任せするということ自体が悟りなのであって、何の疑いも無く全てを投げ出して帰依することが出来ることは簡単なことではありません。

本当は執着や欲望を完全に捨て去って阿弥陀如来に帰依するだけで良いのです。

浄土と天界、どちらを目指すべきか

浄土と天界ではどちらを目指すべきかという問いに対しては、最終的には浄土ですが、それは仏道を自覚した修行者のことであって、欲望と煩悩にまみれた生活を送る凡人には浄土はおろか、天界さえも到達困難な世界です。

私達は普通に生活している限りにおいて、死んだら何処に行きたいとか、次に生まれ変わるのなら何処の世界が良いなどと考えるようなことがありません。

何も考えずに生活している人にとっては浄土であれ天界であれどちらも目指していないのです。

私達の魂というものが永遠の旅を続けているとしたら、魂を汚すのではなくて、綺麗に保つことが宇宙に備わる浄化作用としては自然なことであり、魂を浄化させるという意味では思いっきり高い世界を目指せば、宇宙の原理と合一することが出来るのですから、本来は浄土を目指すべきなのです。

しかし私達は人間の世界に生まれたのですから、まずは人として幸せにならなければいけません。

今できることから始めていくことが大切なのです。

心の中の天界

私達の心の中には元々地獄餓鬼畜生阿修羅人間天界六道の世界が存在していて、時と場合によっていろんな世界の心が現れます。

人に対して恨みの心で満たされていれば地獄の世界、物を独り占めして施さない人は餓鬼の世界、本能のままに動く人は動物の世界、嫉妬心に燃えて争いの絶えない人は阿修羅の世界がその人の周囲に現れるのです。

「思いが形になる」とはまさにこのことであり、心の中で思うことから全てが始まるのです。

私達の世界もある意味「こうありたい」と思う思いが次第に形になったもので、もちろん人が実際に形を作ることで成り立っているのですが、そこに至るまでの過程においては、様々な人が思いを馳せているのです。

思いが形になるので、心の中をいつも天界にしていれば、自分の周りに天界が現れるようになります。

天界の心とは「他の幸せを願う心」であり、そのための修行が利他行なのです。

あの人はいつも穏やかで、まるで仏様のようだと言われるようになりますし、正しいことと悪いことの判断が正確に出来るようになりますので、人から騙されることも無く、人から信頼されるようになります。

私達は子供の頃から道徳として「人に親切にしなさい」とか「困った人を助けなさい」と言われたものですが、こういったことが天界の心につながっているのです。

今の時代、周囲には怒りや妬みなどが溢れていて影響を受けてしまい、穏やかな心で居ることが困難ですが、なるべく周囲からの影響を受けることなく、自らの心の中の世界だけは平和な世界を保つようにしていれば、それが自然と天界の心として現れてくるのです。

たとえ周囲が地獄でも

この世はたくさんの人の心で出来ていますので、いろんな人達の心の影響が家庭や会社、組織、グループ、地域、国などに顕著に表れていますが、たとえ周囲が地獄の世界であっても、その世界に染まらないことが大切です。

地獄の世界の人達から足を引っ張られたらどうしても喧嘩になったり、足の引っ張り合いになったりしますので、気が付けば自分も地獄の世界の中に引きずり込まれてしまいます。

少しでも魂を磨くこと、そして他の幸せを願う心を持てば次第に自分が居る世界が上の方に上がっていきます。

私達の実際の世界は低い世界から高い世界まで複雑に絡み合っていて、自分の事しか考えない怠け者の生活をしていたら低い世界に落ちていくような仕組みになっているのです。

皆が自分の事しか考えなければ当然、世界全体が低い世界を中心に動いていくようになるのです。

平和を願う心、他の幸せを願う心を取り戻し、まずは気が付いた人から平和な世界を目の前に実現していきましょう。