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節分とは
節分とは各季節の始まりの日である立春、立夏、立秋、立冬の前日のことで、季節を分ける日を意味し、この日には魔が入りやすいことから豆撒きなどの魔除けの行事を行います。
2022年の節分は2月3日
地球は1年かけて太陽の周りを一廻りしていますが、正確には365日ちょうどではなくて、365日と6時間弱で廻っていることから、このままでは4年に一日ずつずれてしまうことを修正するために、うるう年を設けて調整しているのです。
こういった微調整の影響で節分は2月2日、3日、4日になることがあり、節分と言えば2月3日ということで定着していた常識が覆される年が今年であり、2021年に節分が2月2日になるのは、明治30年以来124年ぶりなのだそうです。
2022年の節分は2月3日(木)です。
常識を捨てることについて
今は新型コロナの影響により先の見通せない時代になってしまいましたが、平成時代までは国民全員がマスクをしないと外を歩けない時代になるとは数年前までは誰も予測できなかったことです。
マスクをしないと飛行機や新幹線にも乗れないし、スーパーに買い物にも出かけられないのです。
感染防止と言う大きな目的の他に「皆がしているから」という理由でしている方が多いのではないでしょうか。
マスクなんて病気の人がするもので、自分には用が無いと思っていた人でも、しないといけない時代になってしまったのです。
今の時代には固定観念や常識というものがどんどん変わっていきますので、それに対応出来ない人は淘汰されてしまいます。
私達は節分が2月3日にあるものだと思い込んでいて、一時的ではあれ124年ぶりに節分が2月2日に変わることで違和感を感じる人が多いでしょうが、「今までの常識を捨てて気持ちを切り替えなさい」という神々からの大切なメッセージかもしれません。
鬼と仏教
鬼は私達の身近な所に居る存在として仏教の世界でも登場します。
餓鬼(がき)
私達の魂は六道と言われる地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間界、天界の六つの世界の中で輪廻転生していると言われ、その六道の中でも餓鬼道は地獄よりは上にありますが動物界より下の世界であり、貪り(むさぼり)の罪を犯した者が堕ちる世界です。
人の物を奪ったり、自分だけが独占して他に施さなかったりした者が堕ちる世界で、常に空腹で体はやせ細り、お腹だけが異常に膨らんだ姿をしていて、食べ物を探して歩き回り、人が捨てたり落としたりした食べ物に群がって奪い合いをしてやっと得た食べ物も、口の前に近づけたら燃えて食べることが出来ないのです。
餓鬼の世界は私達の世界と隣接しているけれど私達からは姿が見えないだけで、実は私達の周りにたくさん居るのですが、施すと言うことの素晴らしさが分かれば上の世界に上がれる訳ですから、真言宗では日常的に「施餓鬼」と言って餓鬼に施したり、お盆の時期に「施餓鬼法要」をして餓鬼の救済を行っているのです。
地獄の鬼
地獄の入口に繋がる「賽の河原」では鬼が居て水子が供養のために作っている石の五輪の塔を破壊して悪の限りを尽くします。
地獄の世界にも上から下まで多くの地獄があって、罪人の罪を咎めたり体罰を与えたりする鬼がいて、地獄の苦しみは情け容赦なく延々と続くのです。
地獄は私達の生まれ変わりの世界の中で最も下にあり、殺人や盗みなどの思い罪を犯した者が堕ちるとされますが、供養の功徳が届くので、万一私達が地獄に堕ちるようなことがあっても子孫の者が供養してくれたら、大いに救われるそうです。
毘沙門天の邪鬼
毘沙門天の足元で踏みつけられている邪鬼は私達の心の中に有る煩悩を滅するために踏んでいるのだと言われていますが、毘沙門天は仏法守護の神であり、力強さの象徴であることから、鬼神をも味方に付けて使いとしていることを表しているのではないでしょうか。
邪鬼は踏まれたままでは何もすることが出来ませんが、仏道と言う大きな目的の元に改心し、毘沙門天の元で働いていることを表現しているのです。
鬼の存在
今では少なくなりましたが古い家の屋根は瓦ぶきで多くの瓦が乗っていて、雨風や強い日差し、雪などから家を守って快適な空間作りに貢献しているのですが、欠点としては重量が重いので地震の際に倒壊して甚大な被害を受けることがあり、現代では耐震性の高いプレハブ工法の家が普及に伴い、瓦葺の家は少なくなってきました。
今でも数多く残る旧来の日本建築の屋根瓦には必ず「鬼瓦」と言って鬼の顔をした瓦が乗っていて、外に対して睨みを利かせることで、家の災難を寄せ付けないという大切な役割を担っています。
鬼瓦の鬼は本来は怖い存在で悪事を働くのですが、家の高い所に祀り上げて守り神にしてしまうのは、日本人ならではの考え方だと思います。
曼荼羅の思想
曼荼羅は大日如来の働きを表したもので、仏菩薩を始めとして多くの神々や鬼神などが描かれていて、この世の世界には無駄な物が一切なく、全てが訳あって繋がりを持ち、宇宙の構成要因としての役割を果たしていることを説いています。
鬼瓦も然り、毘沙門天の邪鬼も然り、敵として戦い続けるのではなくて、仏道と言う目的の元で力を発揮しているのです。
鬼と豆撒き
節分は炒った豆を「鬼は外福は内」と言いながら豆撒きをする行事です。
家族揃って豆撒きをして楽しみましょう。
こういう行事は楽しむことが大切で、豆を投げつけられたり拾ったりして、家の中から笑い声が聞こえてくることが最大の厄払いなのです。
家の中から笑い声が聞こえる家には福の神がやってきます。
家の中に居る鬼を追い出して福を呼び込みたいという気持ちは誰もが同じで、地方によっては鬼の嫌いなヒイラギの葉やイワシの頭を玄関に付ける所もありますし、豆撒きの時の掛け声を「鬼は内福は内」と言う地方もあります。
鬼は悪い鬼ばかりではないのです。
大切な事は私達の心の中に居る悪い鬼の心を改めて福の心に入れ替えることで、鬼というものは私達の心の中に存在しているのです。
家族で楽しみながら、心の中のお掃除もすること、これが節分の秘訣です。
仏式では「数え年」を使い、節分が来たら歳が増えますので、節分はある意味新年と同じことなのです。
今年もコロナが続く困難の年ではありますが、豆撒きをして乗り切っていきましょう。