37回忌とは

法事の祭壇のイラスト

37回忌とは亡き人の回忌法要と言われる供養のことで、命日から32年後の33回忌の後に来る供養としての位置付けであり、37回忌、43回忌、そして50回忌の弔い上げへと続きます。

弔い上げとは

一昔前までは法事は50回忌或いは百回忌までとされ、それ位の年月が経てば家の守り神になって家を守ってくれるとされ、守り神が増えることはとても目出度いこと、ということで祝いの法事として捉えられていました。

家を守ってもらうという意味では屋根の上の鬼瓦は外に対して睨みを利かせ、家の中では仏壇でご先祖が、そして神棚で神様が守って下さるという民族的な信仰が続いていたのです。

家というものが財産であって親から子、そして孫へと引き継ぐものであり、家と土地の御蔭で生活していくことが出来たのですから、長男は後継ぎで家を守り先祖を祭祀していく役目を担っていたのです。

今の時代特に都会では、家は引き継ぐものではなくて個々に持つもの、そして墓もまた引き継ぐものではなくて個々に持つものということになりつつあり、それに伴って先祖供養というものがどんどん簡略化され、墓じまい散骨供養という事が社会現象になっているのです。

弔い上げには何回忌であるという決まりはありませんが、一般的には33回忌であると言われています。

33回忌で弔い上げの場合には当然37回忌という法事はありません。

50回忌で弔い上げの時

50回忌で弔い上げになる時の法事は丁寧な方法と簡略化された方法の二通りがあります。

丁寧な方法

丁寧な方法と言っても33回忌以降に行う法事は最高に丁寧な方法だと思います。

最高に丁寧な方法では33回忌、37回忌、43回忌、50回忌の合計4回の法事があります。

回忌法要に4の数字を避ける時には33回忌、37回忌、50回忌の合計3回の法事になります。

これを決めるのは個々の寺院の判断ですから、個別の判断についてはそれに従うということになります。

簡略化された方法

簡略化されたと言っても33回忌で終わることの多い法事を50回忌まで行うことが簡略化と言えるかどうかは別にして、50回忌と言うものは100年のちょうど半分になる訳で半世紀であり、法事には実はまだ百回忌というものもある訳ですが、百回忌にもなれば故人を知っている人が確実に居ないので、まだ故人のことを知っている人が集うという意味では50回忌が限界なのです。

故人が亡くなった時にお葬式に参列した人達も50回忌に参加する頃には結構な年齢になっていますので、参加する人たちが会うのもこれが最後かもしれないという感慨深い法事になるのです。

そして50年過ぎれば亡き人は家の守り神になると昔から言われていますので、50回忌の法要は目出度い意味での特別な法事になるのです。

こういった特別な意味のある50回忌の法事だけはどうしても行いたいということであれば33回忌の次に50回忌になります。

これを決めるのは個々の寺院の判断ですから、個別の判断についてはそれに従うということになります。

37回忌の法事をしなかったら

法事を行えば故人が極楽浄土に行って、しなかったら故人が地獄に堕ちるという事はありません。

法事をした人が死後に良い世界に行って、しなかったから悪い世界に行くかは分かりません。

供養と言うものが故人のために届けるものであり、魂の供養につながるとしたら、その効果は大きいと思います。

また供養は自らの仏教修行としての功徳にもなりますので、損はしないと思います。

現代社会に於いて33回忌で弔い上げでしたら、無理して37回忌はする必要ありません。

亡き人に対して何か自分で出来ることは何でもさせて頂こうという気持ちで行う37回忌は実に尊いものです。

37回忌はするべきか

法事をする、しないということは故人との関係の深さにもよると思います。

憎んでいたり憎まれていたようなという理由でお葬式はおろか、法事もしないということがあります。

また最近では寺院の方針が気に入らない、住職が尊敬できない、お金のことばかり言う、などの理由で法事をしなくなったような家もあるのです。

法事をしたことによって本当に安らいだ、安心した、肩の荷が下りた、癒されたという法事であって欲しいものです。

37回忌の法事はするべきかという議論ではなくて、是非とも行いたいという気持ちで行う法事は最高の功徳になるのです。

先祖供養しても何の徳にもならないと思う人が法事をしても意味がありませんし、少なくとも救われたという気持ちになるような法事なら大変に意味あるものです。