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動物供養とは
動物供養とはペットとして飼われた動物の供養、或いは殺生して利用された動物の魂を鎮めるための供養のこと。
人が食べる動物
私達は動物を食べて生きていますが食用としての動物或いは一部の地域で食べられている動物は
- 牛
- 豚
- ヤギ
- 鶏
- ヒツジ
- 馬
- クジラ
- 鳥類
- 魚類
- 爬虫類
- 昆虫
など実に多種多様な生き物を食べているのです。
地球上の生命を食物連鎖という立場で表しますと人間がその頂点にある訳ですから、生物学的には人類はどんな動物を食しても良い訳ですが、私達人類には智慧があり、動物以外のものを食するという選択肢を持つ訳ですから、場合によっては食物連鎖の枠から離れることも可能です。
そして私達は動物の肉を食べないと生きていけないということはありませんので、菜食主義者やヴィーガンの人が肉を食べることなく普通に生きていることを思えば、動物性たんぱく質を採ることが無くても何ら問題無いのです。
しかしながら家族で出かけて焼き肉屋で食べる極上の焼肉は確かにおいしいですし、仲間とアウトドアでバーベキューをしながらの食事は和気あいあい、楽しいひと時を過ごすことが出来ます。
このように多くの幸せを生み出してくれるお肉を止めろと言われてもほとんどの人が止める訳にはいかないでしょう。
回転寿司も然り、魚が可哀そうだから食べるの止めようという人は少ないと思います。
利用する動物
私達の身の回りには動物に関した品物が意外と多いもので、案外それが動物製品だと気が付くことなく使っているものです。
毛皮、羽毛製品
剥製、毛皮のコート、手袋、マフラー、アクセサリー、布団、ダウンジャケット、ダウンベストなど
皮製品
ソファー、椅子、ハンドバック、財布、ポーチ、三味線、太鼓、靴、キーホルダー、アクセサリーなど
角製品
印鑑、彫刻品、装飾品など
その他製品
べっ甲、櫛、かんざしなど
これらの製品を得るために製品用の動物を飼育しているにしても、動物の強制的な死や虐待の犠牲の上にあることは案外知られていません。
害獣として駆除
害獣とは私達の生活に害を及ぼす動物のことで
- イノシシ
- イタチ
- ネズミ
- ハクビシン
- アライグマ
- 鹿
- カラス
などで、人が作った作物を食い荒らしたり家屋に浸入して天井裏を走り回る、電線をかじる、伝染病をもたらす、糞害をもたらすなど私達の生活を脅かし、時には人に危害を与えるようなこともあります。
害獣と言われている動物でも普通の動物であり、生きる権利も当然ある訳ですが、人間の生活に害があるからという理由だけで処分されるのは命としては不公平なことです。
害獣は罠で捕まえて殺処分ということになります。
害虫として駆除
害虫とは私達の生活や健康、農業や林業などに害をもたらす虫の事で次のような虫のことです
- ハチ
- 蚊
- アブ
- ノミ
- ダニ
- ムカデ
- キクイムシ
- アリ
- ハエ
- ゴキブリ
などで、スズメバチに刺されるとショック死するようなこともありますので、虫と言えども注意が必要です。
これらの害虫にしても自分達は害虫であるという認識は全くなく、普通の虫ですが、見た感じが気持ち悪いとかの理由で殺処分することは止めるべきで、無用の殺生はなるべくしないことです。
実際に行われている動物供養
動物の命を奪う業種、屠殺業、害獣駆除、害虫駆除の業者など、仕事上止むを得ず命を奪う義要務をしている人が主体となって供養塔や供養塚を設けたり、動物供養を行っています。
動物供養
今の時代ペットは名前を付けて家族と共に家の中で過ごし、まさに家族の一員ですから、葬儀や火葬、戒名、仏壇、霊園まで人並みに行い、納骨供養を始めとして一周忌、三回忌などの供養も行われています。
動物全般を供養するための動物供養碑が建立されている寺院もあります。
クジラ供養
クジラは現在では調査捕鯨ということで続けられていますが、私達の子供の頃にはクジラの肉は安くておいしい大切なたんぱく源として結構な頻度で食卓に上っていたものでした。
クジラは私達と同じ哺乳類であることから西洋人からはクジラを食べることが野蛮な事であるという批判を受け、海洋資源の立場からも捕鯨は縮小され続け、近年ではクジラの肉を見ることが減りました。
和歌山県太地町は古からのクジラ漁で知られる町ですが、梶取崎園地の一角にはクジラ供養碑が建立され、毎年4月29日にはクジラ供養祭が開催されています。
しろあり供養
和歌山県高野山の奥の院参道には日本しろあり対策協会のしろあり供養塔があります。
しろあり供養並びにしろあり関係物故者慰霊碑合祀祭」は毎年九月に実施されています。
剥製や毛皮のコートなどをお持ちの方へ
私達が使っている動物製品は動物達の苦しみの上に成り立っていて、私達は製品を作るまでの現場を見ていないからこそ何も知らずに快適に使うことが出来るのですが、製品の裏には動物達の苦しみがあることを思えば、私達が自分達の快適な生活を満足させるために罪を作り続けていることを少しでも減らしていく、或いは止めていくべきなのです。
私達が動物の立場だったらどうでしょうか。
何かの役に立っているとはいえ、首を斬られて飾り物にされたり、皮を剥がれて捨てられたりすることは恐ろしい事で、耐え難いことだと思います。
人の役に立つために飼育されているのだからいいじゃないか、という考え方も出来ますが、その裏には必ず最大の苦しみがありますので、出来ることなら苦しみを減らすという事が仏教を信じる者の務めだと思います。
とはいえ、もう既に作られたものや、そこにある物に関しては供養をして魂を鎮めてあげましょう。
やすらか庵のお焚き上げ供養はこのような大切な目的をもって行われています。
動物の剥製の処分、お焚き上げのコーナーもあります。