動物の剥製について

動物の剥製のお焚き上げ

動物の剥製は一昔前までは家の装飾品として人気があり、居間や応接間に飾ってありましたが、希少な動物が高価で取引されることから、乱獲による絶滅が問題になり、今ではあまり見られなくなりました。

動物の死を伴う装飾品なので、動物愛護の観点からも敬遠されるようになりましたが、家にあるような場合には不要になったらどう処分すれば良いのでしょうか。

動物の剥製の役割

動物の剥製

野生の動物は警戒心が強くて人間に近づくということを決してしませんし、間近に見られるようなことは滅多にありませんので、特に珍しい動物でしたら動物園に行くか、博物館の剥製でしか見ることが出来ません。

そもそも動物の剥製は動物の生態を知るための標本的な要素があって、生きている時の姿が容易に観察できるという目的があり、よりリアルな感じを出すためにガラスの眼玉を入れたりしているのです。

山間部で林業と狩猟で生計を立てていた人にとっての剥製は、仕留めた獲物の姿を後世に残すという意味合いがあって、そのような家に行きますと、たくさんの珍しい動物の剥製がずらりと並んでいるものでした。

剥製の価値

最近は動物保護の観点からと装飾品の嗜好の変化により、応接間に動物の剥製が飾ってあるような家は少なくなりましたが、それでも立派な角が付いた鹿の頭の剥製や珍しい鳥の剥製、虎やチーターなどの皮などは観賞用として結構高い値段で取引されています。

欲しい人にとっては喉から手が出るほど欲しいのですが、こういったものを見て気持ち悪いと思う人もたくさんおられる訳で、例えば頂き物として高価な剥製をもらっても、欲しくない人にとっては何の価値も無いといいますか、逆に処分に困る迷惑品になってしまいます。

動物ですから剥製になる前の死の苦しみがあることは私達人間と同じで、まだ生きていたいのに殺生されたという意味では残酷なことであり、それが故に好きになれないという感覚は普通の人ならあると思います。

剥製の処分

ごみとして捨てる

動物の剥製は置いているだけではどんどん劣化しますので、手入れを行うことが大切ですが、故郷の両親が共に亡くなってからしばらくの間空家になっていたなどの場合には、剥製に虫が湧いたり、カビが生えたりして、毛が抜け落ちていたり、変色していたりですっかり値打ちの無いものになってしまいます。

動物の剥製があるのだが、中途半端に高価なものなので、どうしてもゴミに出せない、人にもあげられない、などでお困りでしたら、お焚き上げ供養を利用してみてください。

また燃えるゴミに出したにしても、誰かに見られたら動物虐待と間違えられるかもしれません。

お焚き上げとは

お焚き上げの写真

お焚き上げ供養は命の供養と言う意味でもおすすめです、強い生き物を征服した証としての剥製、珍しい生き物を身近に置いて観察などの無用な殺生は慎みたいもので、そういったものを購入したり頂いたりすることも慎みたいものです。

動物と言えども死の苦しみがあった訳で、奪った命の亡骸を見せ物にして楽しむと言うことは仏教的に言いましてもとても野蛮なことかもしれません。

不殺生戒とは

殺生の上に亡骸を見て楽しむことは人間のエゴかもしれません。

もし私達の家族や友人が理由も無く殺された上に皮をはがされて飾り物にされたとしたら、おぞましいと言いますか、耐えられないことでは無いでしょうか。

無益な殺生はしないと決めて、もし剥製などがありましたら、死と苦しみに対して供養するべきであり、可能であれば魂を鎮めて元の場所に還して差し上げることが大切だと思います。

出来る事なら他の生命に対して慈しみの心で接するようになりたいものでございます。

高野山真言宗やすらか庵ではこのような考えの元でお焚き上げを供養を実践しています。

供養の心

供養の心

無益な殺生はしない、関わらないと決めても、それでもまだ毛皮を持っていたり、実家に行けば応接間に剥製が飾ってあったりするものです。

供養の心とは命に対して慈しみの心で接することで、失われた命に対しては懺悔の心を持ち、魂が少しでも高い世界に行きますようにと手を合わせて差し上げることです。

動物の世界

動物の世界

六道の輪廻転生の世界では、動物の世界は私達人間の世界よりも低いから、人間の方が知能的に高いからなどの理由で動物を虐待したり、無益な殺生をすることはいけません。

動物の世界では弱肉強食の原理が働いていると言われ、人間がその頂点に立つとされますが、強い者が弱い物を征服するのは動物としての本能であって、動物の世界が人間界よりも下になっているのは、人間の方が慈しみの心を持ちやすいからなのです。

弱者をいたわることが出来ること、そしてその尊さを他に伝えることが出来るという意味で人間は素晴らしいのです。

殺生と言う観点からすれば、仏教の世界では人に対しても動物に対しても同じことで、何を殺しても殺生に変わりはありません。

慈悲の心

動物に対する慈悲の心

釈迦の在世当時には修行者が水を飲む時に布で濾してから飲んでいたそうですが、これは水が綺麗ではなかったからという理由ではなくて、虫が入っていてはいけないという理由からだったのです。

雨季の時期には安居会(あんごえ)と言って瞑想などの室内での修行がなされていましたが、これは雨季の時期の虫が多い時に外でむやみに出歩いて踏んでしまうことを避けるためだったのです。

仏教の思想は生き物に対する慈悲の心に満ち溢れているのです。

私達は仏になれなくても仏の心を持つことは出来ます。

仏の心とは相手の幸せを願う心であり、相手の苦しみを取り除く心です。

動物に対して可哀そうなことをしてしまったと気が付いたら、懺悔して、苦しみを取り除くような行動を取るように致しましょう。


お焚き上げの質疑応答エンター