病益平癒の御札とは

病人のお見舞いイラスト

病気平癒御札とは病気が治るように寺院や神社で祈願された御札のことです。

入院している人に御札は失礼ですか?

病気で入院している人に対して病気平癒の御札を持って行くことは、神仏の御力をお借りして治って欲しいという気持ちでお参りしたのですから、一般的にはとても有難いことと思われがちですが、入院している人が神仏を信仰しない人ならば、ある意味とても迷惑なものになってしまいます。

本人がお参りしたがっていた寺社に代わりにお参りして、そこで頂いた御札を届けて差し上げるのなら喜んでくれるでしょうけれど、気を付けなければいけないことは病気の時には心まで歪んでしまっていて、どうせ治らないのだから神仏に頼んでも無駄だとか、御札など頼んでいない、などの理由で心を閉ざしてしまうことさえあるのです。

病気と不安

苦しみ

病気で入院している人にとっては日常の生活から切り離された別世界に居て自由が無く、心と体の両方で苦しみと戦いながらの生活を余儀なくされるのですから、毎日が不安の連続となります。

コロナで厳戒態勢の時などでは外部の人との面会が謝絶されるなどの精神的な苦痛が加わりますので、面会することが出来ない、話をすることが出来ないなどの制限がありますと、病気の人も見舞いの人もどちらも苦しむことになってしまいます。

見舞いも出来ない、話も出来ないとなりますと、本当に何も出来なくなってしまうもので、病気の人に対する手当てというものは本来、手を当てた相手に気持ちを送ることですから、そういった事すら出来ないことは苦痛になってしまうのです。

気の病

病気には肉体的な病気と精神的な病気があり、肉体と精神の両方の病気もあるのですが、いずれにしても精神がダメになってしまえば、治るという希望が失せてしまいますので、治ることがありません。

たとえどのような状況になったとしても精神が強く「必ず治る」と身なじることが出来る人は、精神的に弱く弱音ばかり吐く人よりも治る確率が格段に高いのです。

神仏の力

誰にも頼ることがなくとも自分だけの力で病気と戦っている人もたくさん居ますが、それでも家族や医者、看護婦の看病や手当てがあってのことであり、そこに神仏の力を借りることによって治ることに繋がったという人もまた多いのです。

私達の世界は目に見えるものだけで成り立っているのではなくて、神仏やご先祖などの眼には見えない世界も含めて成り立っています。

神仏の力など信じなくても普通に生きていけますが、信じることが出来る人は、自分一人の力では出すことが出来ない力を神仏から頂くということに気が付いた人なのです。

病気の人に病気平癒の御札を届けるには、予め本人に必要かどうかを聞いてみれば良いでしょう。

神仏の力を日頃から頂いている人にとってみれば最高に有難いものです。

病気平癒の御札は枕元のテーブルの上に置いても良いですし、置く所が無ければ引き出しの中に入れても構いません。

ビニール袋に入れて枕の下に入れるという方法もありますが、自宅ではないのでシーツの取り換え時などに紛失するかもしれません。

病気が治ったら

神仏の力を頂いて病気が治ったなら、御札を頂いた寺社にお礼参りしましょう。

治ることがなくてもお願いした神仏にはお礼の気持ちを表しましょう。

お参りすることが出来ない場合には高野真言宗やすらか庵のお焚き上げ供養を御利用下さい。

神仏に対して失礼の無いように取り計らい致します。